ロードの中日

2005-08-06 samedi

死の(というほどもないけど)ロード三日目。
このロードは中一日おいて、3日から8日まで続くので、今日が中日である。
昼近くまで寝て、田園都市線・半蔵門線乗り継いで神保町へ。
P社、AERA,角川書房の三社と打ち合わせ&取材。
P社はタカハシさんとの対談本の話。
この間録音を切ったあとの文学と言語の話がたいへん面白かった。
あれを録音しておかなかったことが悔やまれる。
もう二度ほどタカハシさんと文学の話をすればたぶん一冊分くらいになるはず。
仕事という口実があると、忙しいタカハシさんのところに遊びにおしかけることもできるし。
AERAは「地方出身者と都会派」の人間的力の違いという不思議なテーマについてコメント。
そういうスキームであまり考えたことがなかったけれど、「都会に住みたい」という人にはたぶんある種の傾向性があるんだろうなと思う。
よく都会生活者は「匿名性」を求めるというけれど、人間は完全な匿名では生きていけない(番号でもハンドルネームでも、何らかの名前は必要だ)。
都会生活者は「匿名性」というよりはむしろ人格の「単一性」にこだわりがあるのではあるまいか。
ネット上の議論では「実名暴露」による議論の打ち切りということが時折見られる。
複数のアイデンティティを持っていることはキャラクターの脆弱性であるということが暗黙のうちに了解されているわけである。
リスクヘッジの方法としては複数の人格をそのつど使い分ける方が有効であるはずだが、人格の複数性をコントロールする仕方はどこでも教えてくれない。
だから、自己防衛的に人格を複数化しようとすると、いきなり解離症状を呈してしまう。
その点では地縁血縁でつねに監視されているような狭い共同体にいる人間の方が、人格の使い分けに幼少期から長じるということがあるのではないか・・・というようなことを考える。
角川書店は春日先生との対談本の「発行祝い」ということで(春日先生は医局の集まりがあって残念ながら不参加)、広尾に「フカヒレ」を食べに行く。
ステーキのようなサイズのフカヒレをばりばり食べる。
一生分のフカヒレを食べたような気がする。
いろいろと仕事の約束をしているということを思い出させようとされるのであるが、残念なことにすべて失念している。
向こうは3人がかりで「たしかにあのとき先生は『では「文學界」の連載が終わったらやります』と断言しました!」と証言をなされるのであるが、こういう問題については多数決というようなことはまったく適用されないのである。
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