るんちゃん・健ちゃんと日本の高等教育の末路

2005-08-05 vendredi

8月3日午後に芦屋を出て、自由が丘でるんちゃんに会う。
ひさしぶりである。
誕生日プレゼントに「一生物のアクセサリー」を買って欲しいというので、意を決してカードを握りしめてきた。
入ったお店で、「前に見せてもらったサファイアとダイヤのネックレスありますか?」と訊くので、これはけっこうなお値段のものかしらと覚悟を決める。
値札を見て、あたまではじいたソロバンの三分の一くらいだったので、ほっとする。
たまたま東京にサンフランシスコの健ちゃんが来ていたので、健の息子のカイといっしょに四人でご飯を食べる。
健は私の ex-wife の姉の息子であり、私が生まれて初めて得た「甥」である。
はじめてサンフランシスコから日本に遊びに来た健に会ったとき、健は14歳の中学生、私は30歳。
素直で快活でエネルギッシュで、生粋のカリフォルニア・ボーイである健がすっかり気に入って、あちこち連れ回して遊んだ。
間に太平洋があるので、それほど頻繁には会えなかったけれど、健は私のいちばんお気に入りの「親類の子」であった。
だから、健の結婚式を奈良の春日大社でやると知らされたときには、私はるんちゃんと一緒に「新郎側」の親戚みたいな顔をしていそいそと列席したのである(るんちゃんは健の従妹だからよいのであるが、私は「新郎の母親の妹の別れた亭主」というふつう結婚式なんかに呼ばれない縁遠い人間である)。
健と会うのはそれ以来7年ぶり。
かつての少年も、もう39歳の中年男となって、ちょっと驚いたけれど、話し始めるとむかしと少しも変わらない。
息子のカイはかつての健を彷彿とさせる一瞬もじっとしていないハイパーアクティヴ少年。
時の流れを実感する。
次に会うときには私たちはどんなふうになっているのだろう。

東京に来たのは実は業務出張である。
4日に淵野辺の青山学院で私立大学情報教育協会主催の「教育の情報化推進のための理事長・学長等会議」というものがあり、学長に命ぜられて、私と情報処理センターの出口ディレクターが派遣されたのである。
会議が「理事長・学長等会議」(私たちは「等」であるが)であるので、飛び交う話はダイレクトに文部科学省寄りであり、ダイレクトに世知辛い。
大学基準協会や私大連のセミナーよりもはるかに「ぶっちゃけた」話である。
会議のテーマは教育の情報化、e-learning とかコンソーシアムとかVODとかといった話である。
大学におけるITの基盤整備はどこでもだいたい終わっていて、これからはそれにどのような教育的コンテンツを載せるか、ということが話題の中心なのである。
だが、どうして e-learning ということを文部科学省がこれほど力を入れるのか、話を聞いているうちによくわかった。
第一は学生の止まるところを知らない学力低下である。
大学の正規の勉強だけではとても追いつかない。
リメディアル教育の他に、家に帰ったあと自学自習させないとどうにもならない(なにしろ連立一次方程式がとけない工学部学生とか、生物を履修していない医学部学生とかがざわざわいて、ついに小学校の算数からのリメディアルをはじめた私大もあるのだ)。
そのためには web 上に教材を載せて、自宅でばりばり宿題をやらせるのが効果的ではないか・・・と文部科学省&私情協はお考えになったのである。
もちろん、その採点だの集計だのをしている暇は教師にはないので、それをすべて機械的に処理できるようなシステムを開発しましょう、というわけである。
ロボット家庭教師のようなものをご想像いただければよい。
そもそも「単位」というのは前から何度も申し上げているように国際的な標準規格であり、45時間のワークを指す。すなわち15時間の教室における課業と、30時間の自宅学習である。
現在、大学では90分授業15週で2単位を与えている。
学生さんが「90時間勉強した」ということにして2単位を認定しているのである。
しかし、現実にはすべての授業に出席しても22.5時間である。
ほとんどの学生は自宅での予復習時間が一日1時間以下である。
一科目あたりに割いているのはせいぜい15分というところであろう。
実際には授業を休み、休講もあり、遅刻早退があり、自宅学習時間ゼロの日もあるから、形式上90時間のワークとして認定されているものの内実はおそらく20時間たらず(講義を聴かずに居眠りばかりこいている学生の場合は数時間程度)の課業のみである。
つまり平均4倍以上のインフレ査定がなされているのが日本の大学の単位の実情なのである。
「単位」というのは「キロ」とか「メートル」と同じ国際標準規格である。
「日本の1キロはヨーロッパの200グラムのことです」というわけには参らない。
多少の地域格差は許容範囲でも、ここまで実勢との差が開くと、国際社会から「日本の大学の出す単位認定は怪しい」という疑いが出かねない。
単位の内実が4倍インフレということなら、「日本の大学卒業? ではうちの国の大学の二年次に編入してください」となっても不思議はない。
文部科学省がいちばん恐れているのはこのことである。
EUあたりで「日本の大学卒業資格は認定しない」ということになったとき(可能性は決して低くない)、文部科学省の役人は世間をはばかって、ドブ板をはいずって歩かねばならないであろう。
彼らとて必死である。
もう一つ、e-learning に力を入れる理由は、入学した大学がつぶれた場合でも、大学がコンソーシアムに加盟していて、講義科目がインターネット配信である限り、学生さんはとりあえず支障なく卒業できるからである。
キャンパスがなくなっても卒業できるための e-learning。
世知辛い・・・
さらにくわえて「産学官連携」構想が語られる。
なぜここにきて産学官連携?
理由は簡単。
日本の資本主義企業の質は世界最高水準である。
日本の高等教育の質は世界最低水準である。
同じ日本人がやっていてどうしてこれだけの差が開くのか?
理由は、いろいろあるのだが、差しさわりがありすぎるので、こんなところでは申し上げられない。
「理事長・学長等会議」であるから、大学では聞けない種類の本音が漏れ聞こえる。
大学の教師の代わりに企業人に授業をやらせた方が教育効果は上がるのではないか・・・とまあ、誰でも考えますわな。
しかし、お忙しい企業の方々に大学にきて毎週ゼミや講義をしてもらうわけにはゆかない。
だいたい出講料としてお支払いするお金がない。
そこで、e-learning の出番となる。
ビジネスマンのオフィスまでインタビューに行って、一席ぶっていただいたビデオをVOD (Video on demand) でネット配信するとか、スタジオから全国に放送してリアルタイムで双方向的ディスカッションするとか。
発信者一対受信者多数というスタイルをねらったら e-learning がいちばん効果的である。
というような諸般の事情によって教育の情報化が推進されているのである。
聞けば聞くほど、日本の高等教育は末期的であるなあ・・・との感を深くして、重い足取りで淵野辺を後にした出口先生と私なのであった。
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