シンジローくんとコージくん

2005-07-31 dimanche

『ヤマちゃん本』のデータが届いたので、とりあえず一瞥する。
ブログ日記から「大文字ネタ」を拾い集めたものである。
『街場の現代思想』にわりと近い感じである。
もうだいたい本のかたちになっているが「まえがき」を書けと指示がしてあるので、思わず書き出してしまう(「書いて」といわれると反射的に「書き始める」という体質が私の場合、事態を悪化させているのかもしれない)。
山ちゃんがつけた仮題は「思わずほほえむ教養講座」というものである。
8モーラ。7モーラであるので、音韻的にはオッケーなのであるが、ウチダ本にしてはタイトルにインパクトがない。
いろいろ考える。
キーワードは「教養」らしい。

「教養の強要」
「教養があって何か問題でも?」
「教養が好き!」
「教養がこわい」
「虚妄の教養主義」
「教養格差社会」
「教養の身体技法」

などなど書棚の本のタイトルをてきとうに切り貼りするがいまひとつ。
で、最後におもいついたのが

「知に働けば蔵が建つ」

ヤマちゃん、これで決まりね。
はっと気づくと昼。
あわてて芦屋の体育館へ。
今日はおいちゃんの送別稽古なので、30人以上の人がきていて、さすが70畳の道場も人で一杯である。
送別稽古では「送られる人」を受けに呼ぶことにしている。
武道の世界で「贈り物」というのは親しく技を伝えることに尽きるからである。
丸亀の守さんがひさしぶりにお稽古に参加され、N大の横地さんも遊びに来てくれたので、稽古後、みんなで氷を食べにゆく。
守さんの「韓氏意拳」話に耳を傾ける。
話題はいろいろと転々とするのであるが、そのつど守さんが「それは韓氏意拳で言うと・・・」と引き取ってくれる。
何か強い既視感を覚える。
江さんと守さんが出るラジオ番組を一瞬想像してみる。
「それだんじりでいうたら」「それは韓氏意拳で言うと」
ですべてのフレーズが始まる二人の回答者の人生相談。
守さんとは来週末にまた丸亀でお会いする。
講習会をしてから明水亭でビールを飲んでうどんを食べ、翌日はA楽亭でうなぎを食べるという「丸亀至福コース」である。

あわてて着替えて大阪へ。
森永一衣さんのソプラノ・リサイタルがフェニックス・ホールである。
森永さんは畏友山本浩二画伯の畏妻である(そんな言葉はないが)。
「畏」の二乗であるから、私との力関係は論ずるに及ばない。
リサイタルはすでに小さいものもふくめて大阪では4回になるはずである(私はもちろんフルエントリー)。
今回は御堂筋のフェニックス・ホールなので、ジャケットを羽織ってでかける。
しゃれたホールで、幕間にはフォワイエでワインなんか飲めるので、もちろん冷えた白ワインを飲む。
すると当然のように眠気が襲ってきて、プログラム最後の「ある晴れた日に」のアリアを聴きながら数秒間至福の眠りに落ちる。
能の癖がついて、音楽に身を委ねながら睡魔と戦うるのがどうにも気分がよい。
打ち上げはいつもの亀寿司中店へ。
中トロ大トロ穴子鰺烏賊鯛鮃雲丹などをむさぼり食い、サッポロラガーをごくごく飲む。
山本画伯にご協力頂いた『身体の言い分』はたいへんよく売れているようで、画伯が「みなさん聴いてください。私が装幀したウチダくんの本が23日刊行で、なんと刊行後4日で絶版になりました!」とご紹介下さる。
画伯あの、「絶版」じゃなくて「増刷」なんですけど。
「え? だって本がなくなるってことでしょ、絶版て」
ま、そういえばそうですけど。
畏友なので、反論しない。
三宅先生は『身体の言い分』を診療所で売りまくっているらしい(なにしろお一人で500部も買っちゃったんだからたいへんだ)
その読者(つうか「被害者」)の方から「感想はがき」が先生のもとに届き、それをファックスで転送してくださった。
文面にいわく

「電車の中、喫茶店でも思わず笑ってしまい、後半は片手で口を押さえ乍ら読んでいました。心から笑ったのは森繁久弥さんの映画『社長漫遊記』以来です。」

『社長漫遊記』は1963年の東宝映画であるから、この方は実に42年ぶりに「心から笑った」ことになる。
『社長漫遊記』と「同じくらいおもしろい」というコピーはいささか現代的訴求力に欠けるような気もしないではないが、とてもよい映画です(フランキー堺演じる「変な二世」が面白かったなあ)
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