涙の夏休み

2005-07-30 samedi

夏休みのあいだに『街場のアメリカ論』だけは仕上げようと思っていたが、そこに『ニート論』の草稿が届いて、甲野先生との対談のゲラが届いて、加藤典洋さんの『敗戦後論』のゲラが届いて(文庫版の解説を書くので)、そこに昨日文春の『ヤマちゃん本』のデータが届いた。
講演、研究会、エッセイ、論文、書評などの依頼は一日一件ペースで来る。
断れるものは断り、立場上断れないものは仕方なくお受けする。
これだけ重なると、ひとつひとつのできあがりの質が心配である。
どうしても文章は雑になるし、調べものをして裏をとるのが面倒なトピックは飛ばしてしまう。
あきらかに仕事の質が下がるにつれて、仕事の依頼が増えている。
不思議なものである。
世の中というのはそういう仕掛けになっているのかもしれない。
たしか、これまでの出版企画は前年度末に全部「チャラ」にして、晴れて自由の身になったはずなのであるが、わずか半年で、いつのまにか朝から晩までかかっても終わらないくらいの量の仕事に追われている。
なぜこういうことになったのか。
少なくとも私が仕事のコントロールができなくなっているということは間違いない。
夏休みにはいったはずだが、朝から晩まで机にしがみついてひたすらキーボードを打ち続けている。
肩がばりばりに凝って、眼はだんだん見えなくなってきた。
「もう書けない」というところで仕事を止める。
それでもその日一日かけて終わらせたよりも多い仕事がその日のうちに入ってくる。
何かが間違っているような気がする。
でも、何が間違っているのか、わからない。
どうにかしなければいけないと思うのだが、とりあえずキーボードに向かって超高速で原稿を書く以外に事態を好転させる方途を思いつかない。
むかし、うちで宴会をすることになっていた日に発熱したことがあった。
38度を超える熱が出て、朝から臥せっていたのだが、あまりに苦しくて、お呼びしたみなさん一人一人に電話をして「すみませんが、今日は具合が悪いので、宴会はなしです」と訳を話して謝るだけの気力が出ない。
そのまま弱々しく倒れているうちに夕方になったので、結局起き出して、熱をおして料理を作り、酒を用意した。
誰も熱で赤い顔をしている私が病気であることに気がつかなかった(酔っていると思ったのである)。
そして、みんなが楽しい一夕を過ごして満足げに帰ったあとにまた病床に戻った。
そういうものである。
気力体力が充実していないと人間「断る」ということができない。
仕事が立て込んですっかり病み衰えている人間には「断る」ということ自体ができなくなるのである。
これを読んでいるみなさんにお願い。
もうウチダに仕事を持ち込まないでください。
おねがひ。
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