ラガーマンと極道研究

2005-07-24 dimanche

本日から合気道のお稽古に神鋼コベルコ・スティーラーズの平尾剛史(「たかふみ」って読むんだよ)選手が参加される。
ちゃんと正式に多田塾甲南合気会に入門されるのである。
これで平尾さんも多田塾メンバー。
これまでいろいろなスポーツの経験者に合気道をご指導してきたけれど、ナショナルチームのメンバーに運動のやり方を教えるというのはさすがにはじめてのことである。
子ども時代には運動が苦手で学校体育が大嫌いだった私が知命をすぎてからこのような出会いを経験するとは、まことに人生というのは油断のならぬ展開をするものである。
才能とか適性ということを二十歳やそこらで軽々に断定する方がおられるが、それはあまりに気が早すぎるというものである。
池上先生だって治療者になられたのは不惑を過ぎてからである。その前は外国航路の航海士とビジネスマンをしていたのである。
友人のK之園くんはコンピュータ会社につとめていたが、37歳のときに思い立って医学部に入っていまではアトピー治療の専門家になっている。
彼によると、人間は生涯に少なくとも二度は職業を変える方がよいということである。
「だって、生物の本質は変化だろ」
なるほど。
たいへん説得力のある論拠であったので、私もこのあと六十で学者を辞めて、市井の「武道家」として生きる予定である。
果たして平尾さんはコヒーレンス合気道からラグビーの身体運用上のヒントを得て下さるであろうか。
神鋼のためにもジャパンのためにもお役に立ちたいものである。

稽古のあと家にもどって、一昨日の夜から始めた『街場のアメリカ論』の校正の続き。
全文書き直しなので、ほとんど書き下ろしと変わらない。
でも「元ネタ」があるので、仕事はかなり楽である。
とりあえず全体の15%ほど終わる。
このペースなら予定よりかなり早く上がりそうである。

夜は東京から来た最上さんを迎えて三宅先生ご一家と芦屋川のベリーニへ。
シャンペンで乾杯してから、カルパッチオとか松茸のパスタとか鯛とかステーキとかばりばり食べて、ワインをがんがん飲んで、最上さんの「極道秘話」に聞き惚れる。
前回の信州旅行のときにI川会跡目問題について専門的なご意見を拝聴できると楽しみにしていたのであるが、残念ながらお会いできなかった。
今回は私の方からお願いして、「秘話」の続きを聴かせていただくために芦屋までご足労願ったのである。
盃事についての専門的なレクチャーののち、戦後日本侠客史を彩るカラフルな人物逸事について、東京アンダーワールドの驚くべき秘話の数々をお聞きする。
現代の極道が本質的に情報ビジネスであり、組織原理がゲマインシャフトであるということがお話を聞くと実によくわかる。
河岸を三宮の Charlie’s に移して、チャーリーさんの歌うイーグルスを肴に、今度はさらにマサキくんがもたらす海上保安庁秘話に耳を傾ける。
日本の海防はそのようなことでよろしいのだろうか。
世の中には求めずして「秘話」が集まるタイプの人というのがいるらしい。
私にはひとつもお聞かせするような「秘話」のストックがなく、お聞きするばかりでまことに申し訳がない。
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