二種類の危機

2005-07-03 dimanche

2005年度入試の偏差値情報が予備校から提示される。
まずは代ゼミの情報。
本学の偏差値は英文が54(前期A日程、以下同じ)、総文が53,心理行動が54,環境バイオが53(F日程だとそれより下がる)。
全学科全日程で2004年度より1-3ポイント下がっている。
これは「危機的」と申し上げなければならない数値である。
もちろん代ゼミの数値と河合塾、駿台の数値は毎年ずいぶん違うから、これだけでは決定的なことは言えないが、「前年度より下がっている」という傾向は重く受け止めなければならない。
先般のリクルートのシミュレーションの「水没音」の記憶も生々しいので、「偏差値が50を切る」というのが何を意味するのか、本学教職員なら熟知されていることであろう。
それはきわめて高い確率で「定員割れ、募集停止」という「戻り道のない」ルートに踏み込むということを意味している。
本学の場合、偏差値が低くなる構造は単純である。
「合格者が多い」(というよりは「不合格者が少ない」)からである。
本学の定員は517名。
それに対して1.3倍650名の入学者を毎年確保することが経営上要求されている。
試験の合格者は歩留まり率というものを乗した数なので、それよりさらに多い。
入学者がこれほど増えたのは95年の大震災で本学が大きなダメージを受けたからである。
再建のためには金が要る。文部科学省の許容範囲ぎりぎりの1.3倍まで入学者を増やした。
それまで600以下だった入学者が96年から650名に増えた。680名取った年もある。
そうやって10年経って、本学の財政状態は好転し、入学者偏差値は下降した。
当然のことである。
大学教授会は、これ以上財政状態を好転させることよりも、これ以上入学者偏差値を下げないことの方が経営上優先的な課題だろうと考えて、数年前から入学者の減員を求めている。
せめて定員の1.1倍、570名程度まで絞り込ませて欲しい。
それによって偏差値は2-3ポイント上昇するはずである。
ずっとそう言っているのだが、理事会はなかなか同意してくれない。
偏差値の低い学生を受け容れて、それを教育することがあなた方の仕事でしょう。
偏差値の高い学生を受け容れて、それを送り出すだけなら誰にだってできます。
というのが前理事長の常套句だった。
たしかに一理ある考え方である。
しかし、この考え方は「マーケットは無限」という前提に立っている。
偏差値の低い学生をどんどん受け容れているうちに、「学生が誰も来なくなってしまった」というシナリオが考慮されていない。
だが、そういう大学がすでに出現しているし、これからさらに増え続けるだろう。
大学が健全な財政状態にあることの重要性を私は理解している。
だが、財政の健全性は教育機関として機能するための条件であり、教育活動をする目的は財政黒字をつくりだすことにあるのではない。
入学者数を減らし、学生一人当たりへの教育資源の集中度を高め、小さなキャンパスできめ細かでクオリティの高い教育をすることをめざした建学の理念に立ち返ること。そのようにして、「神戸女学院でぜひ学びたい」という少数のロイヤルティの高い学生たちを継続的に確保すること。
それがこれまで繰り返し書いてきたように「オプティマル・サイジング」の考え方である。
代ゼミ偏差値データを見る限り、これがおそらく「サバイバル」の方策として採択できるベストのものだろうと私は思う。
しかし、この生存戦略は必ずしも大学のマジョリティの賛同を受けているわけではない。
学生の減員を選択することは「滅びの道だ」と言う同僚も少なくない。
それよりは「集客力のある新学部開設」あるいは「注目度の高い学科へ集中的に資源配分を」という人がいる。
どちらも理論的には「正しい選択」である。
だが、本学の現在の状況を勘定に入れると「正しさ」はかなり目減りする。
この「正しい選択」は「とりあえず入学者数現状維持」を要求する(新規事業のためにはより多くの投資が必要だからだ)。
その「正しい選択」が実効性を発揮して、偏差値の高い学生がどんどん集まり始めるのと、偏差値が50を切るのとどちらが「先か」。
問題はそのタイムラグであり、ほとんどそれ「だけ」なのである。
正しい選択をすれば生き残ることができるわけではない。
生き残ることができたときにそれが正しい選択だったことがわかる。
まことにストレスフルな立場に私たちはおかれているのである。

土曜日は新歓コンパ。
今年は合気道の新入部員6名、杖道会の新入部員2名を迎えて、加えてミネソタからヤベくんが戻ってきたその歓迎会も兼ねているので、総勢47名という大宴会となる。
これまでのわが家への受け入れ人数記録は37名であるから、記録を一気に10名越えたことになる。
3LDKのマンションに47人。
よく酸欠で倒れる人がでなかったものである。
食物が出されるたびに数分(はやいときは数十秒)で皿が空になり、ワインのボトルも栓を抜くたびに数分で空き瓶となる。
台所で調理するスペースがなく、やむなく「下駄箱」の上で料理している人々もいた。
4時から始まった宴会が11時に終わり、全員が帰ったあとにゴミ袋が5個。空き瓶20本。ペットボトル数十本。
床が抜けなくてよかった。
新入部員たちはなんだかとんでもないところに入ってしまったと驚いていることであろう。
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