オフなので、ばりばり原稿を書く

2005-06-29 mercredi

東京のるんちゃんから「父の日のプレゼント」が届く。
仕事が忙しくてなかなか郵便局までゆく暇がありません、もうちょっと待ってねというメールがしばらく前に届いた。
夕方メールボックスにこぶりの包みが入っていた。
開くとハンカチが三枚とカードが二枚。
カードにはこう書いてあった。

「おいしいごはんをたべ、
しあわせなねむりにつき、
やわらかいおふとんで
美しい夢をみて、
その夢をまた形にするための
時間とお金を
いつも与えてくれて
ありがとうございます」

カードの余白にはご飯を食べて、おふとんで寝て、夢を見て、元気に歩いている女の子の絵が描いてあった。
落涙。
神さま、すてきな娘を恵んでくださってありがとうございます。
ウチダは若い頃から悪いことばかりしてきましたけれど、父親としてはほんとうに幸福な男です。
「時間とお金」というあたりのリアリズムがまことにるんちゃんらしい。
よっしゃあ、もうすぐるんちゃんの誕生日だから気前よくがーんとプレゼントしたろかね。
「何が欲しいの?」
「うーんと、とりあえず現金かな」
というような頼もしい応答が期待されるタフなるんちゃんである。
さすがおいらの娘だよ。
がんばれ。

ひさしぶりのオフなので、一月ぶりに下川先生のお稽古にゆく。
夏の歌仙会は謡が「羽衣」のシテ(天女だよ)、仕舞が「高砂」のキリ(「千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ」)と告げられて、まず「羽衣」のお稽古。
ウチダが演じるわけであるから、役作り的には「タカビーな天女」だな。これは。

帰ってからたまった原稿を片づける。
まずは「東京ファイティングキッズその14」
「労働と時間」というヘビーなテーマ。
レヴィナスの『時間と他者』をマルクスの『資本論』とからめて解読し、時間と欲望と交換と記号とエロスを一気に論じきるという「レヴィナス三部作最終章」の構想上不可避の論点である。
書き上げて送稿。
こんなネタを振られて平川くんもたいへんだ。

エピスに『スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐』の映画評を送稿。
『エピソードIII』の映画評をめぐっては町山智浩さんのブログでたいへんな騒ぎがあり、今日からブログが閉鎖されている。
町山さんは小田嶋隆先生とともに私が「現代日本を代表する批評的知性」として深い尊敬の念を抱いている方である。
これほどに冴えた知性と厚みのある人間性を備えたこの二人の批評家をどうして日本のマスメディアは重用しないのか、それが私にはひさしく謎である。
その町山さんのブログを読むのは私の毎日の楽しみの一つであったのだが、それが心ない「荒らし」のせいで、一時的とはいえ閉鎖に追い込まれた。
町山さんの無念を思い、一日も早いブログ再開を祈念する。
でも、私の『エピソードIII』評は町山さんの政治的文脈での読みとはだいぶ違う。
町山さんも私も「映画を映画外の事象と関連づけて論じる」というスタンスは少し似ているけれど、私は「できることなら、誰も思いつかないくらいに無縁な映画外的事象」とのリンケージを探す癖がある。
今回、私が『エピソードIII』のうちに発見したのは・・・
詳細は来月の読賣新聞エピスをご覧ください。
この映画評にはさしもの「シス」の魔の手も及ぶことはないでありましょう。

次に江さんの『だんじり本』の「解説」にかかる。
これは話が話だけにたいへん書きやすい。
さらさら。
二時間ほどで書き上げてただちに送稿。
共同通信から頼まれたエッセイを書くのを忘れていた。
1200字。
今日のうちに書こうかなと思ったけれど、お腹が減ってきたので明日まわし。

いろいろな企画が届く。
わくわくするのは、Y老先生との対談と、M崎哲弥さんとの対談と、もうひとつ「幻の」O瀧師匠との対談企画。
Y老先生とは去年一度対談させて頂き、年末には「今年の三本」に拙著を選んで頂いたご恩がある。
できることならY老先生のクリスプな毒舌をまたたっぷりと堪能したい。
ああ、たのしみ。
M崎さんとの対談は想像するだにかなりスリリングである。
靖国とか改憲とか、そういうヘビーな話題になるのかなあ。
『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集のときに実はO瀧師匠と私との対談企画が上がったのであるが、調整がうまくゆかず、「O瀧詠一の系譜学」という長文の論考を書いて寄稿するにとどまったのはご案内の通り。
その私の渾身のO瀧論を師匠がお読みくださり、改めて対談の可能性をご検討くださったようである。
ありがたや。
もし可能なら、石川茂樹くんといっしょの「ダブル・インタビュー」でとお願いする。
ともに 30 年来のナイアガラーとしては実現すれば「生きててよかった(涙)」企画である。
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