吉田城くんを送る

2005-06-27 lundi

蒸し暑い京都に黒いスーツを着てでかける。
先週の木曜に川崎ヒロ子さんの葬儀に出て、それから一週間も間をあけずに、今度は旧友吉田城くんの葬儀に出ることになった。
去年の竹信悦夫くんから始まって同世代の友人たちが次々と鬼籍の人となる。
訃報を知らせてくれたのは本願寺のフジモトくんである。
告別式の場所や時間や行き方まで懇切に携帯メールでご教示くださった。
お知らせ頂かなければ、昨日の朝刊の死亡欄を見落としたら葬儀に間に合わなかったかもしれない。
世界的なプルースト研究家であるにもかかわらず、そのような威信を少しも鼻にかけないほんとうに愉快でフレンドリーな人だったから、葬儀にはおそらくは彼の学恩を受け、彼の学風を慕っていた若い方たちが列をなしていた。
会場で吉川一義先生にお会いする。
吉川先生は東大の大学院時代から30年余にわたる同じプルースト研究の同学の士であり、このおふたりが日本の90年代以後のプルースト研究を牽引してきた。
吉川先生は繊細にして洒脱にして磊落、都立大時代からひさしく兄事してきた偉大な先輩であるけれど、その気質には吉田くんにどこか通じるものがあった。
そのせいか吉川先生の弔辞には「パートナー」を失ったひとの肺腑をえぐるように悲痛な音調が伏流していた。
弔辞の中で吉田くんの過去十年ほどのほとんど超人的ともいえる仕事ぶりを紹介されて、言葉を失う。
30歳になったばかりで腎臓に重い病を得て、週3回の透析を義務づけられるという苛酷なハンディを背負いながら、国際的なスケールの仕事を次々と世に問い、大学の仕事をこなし、後進を指導し、すてきな奥様とかわいいお子様たちと温かい家庭を作り、そのかたわらで私のようなお気楽な友ともちゃんと遊んでくれた。
日比谷高校同期の伝説的秀才たちのうち新井啓右くんは27歳で夭逝し、いままた吉田城くんを失う。
どうしてこれほどの才能を天ははやばやと召してしまうのだろう。
Those whom Gods love die young
吉田くんのような人をはやくに失ったことの重みを私たちの社会はこれから痛切に感じることになるだろう。
京都駅までの帰り道を杉本淑彦先生ととぼとぼ歩きながら、吉田くんの最後の日々についてぽつりぽつりとお聞きする。
杉本先生とは今年の冬に京大の集中講義でお会いするはずだった。
ふたりとも異口同音に「こんなところでお会いするとは思いませんでしたね…」とつぶやく。
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