長い一日

2005-06-24 vendredi

ヒロ子さんの告別式に行く。
場所は芦屋ホール。芦屋川の川下、市役所の南の、むかし松林があったあたりである。
いつのまにか斎場になっていた。
芦屋にはなんだか斎場が多いような気がする。
街そのものの高齢化が進んでいるせいで、目端の利いた資本が「葬儀ビジネス」に参入してきているのかもしれない。
「葬儀ビジネス」に新規参入者がふえて、自由競争でコストダウンやサービスの向上が見込まれるのは、ありがたいといえばありがたいし、そんなところで「商売」やってどうすんだよという気もするし。
よくわからない。
芦屋ホールは川沿いにある小さなコンサートホールのようなたたずまいの斎場である。
受け付けで立命館の川上勉先生と海星の事務長をされている本学のもと総務部長だった日比さんにお会いする。
川上先生はフランス政治思想史のご専門で、ミシェル・ウィノックの反ユダヤ主義研究の翻訳をされたり、大戦間期のファシズムや極右のこと研究されている「コア」なエリアの同学の先輩である。
一度機会に恵まれて、川上先生らが主宰する研究会でドリュモンの反ユダヤ主義思想について報告させて頂いたことがあった。
もう 10 年以上前のことである。
その後、学会誌の編集委員を同時期に一緒に務めたので、毎回学会でお会いしていた。
最近、学会に足が向かないので、先生の温顔に接するのはひさしぶりのことである。
式場では立命館での次郎くんの上司に当たる下川茂さんにお会いする。
下川さんとは東海大で非常勤をしていた80年から毎週講師控室でご一緒だった。
ずいぶんいろいろなことを教えて頂いたありがたい先輩であるが、一番恩義を感じているのは「橋本治」という人の存在を教えて頂いたことである。
ある日の休み時間に控室で『桃尻娘』という本を下川さんが読んでいた。
なんだかすごいタイトルの本ですねと言うと、下川さんは「これを書いている橋本くんというのは駒場で同級生だったんだけれど、とっても面白い子でね。彼が書い本だからきっと面白いと思うよ」とお薦め下さった。
私が橋本治信者になったのはこれがきっかけである。
葬儀は日蓮宗の祭式で行われた。
読経を聴いて、焼香をすませてから、棺の中のヒロ子さんにお別れをして、マイクロバスで岡本の火葬場に向かう。
いったん斎場に戻って昼食。
12年前の次郎くんの結婚式のときに三宮で痛飲した早稲田の諸君と再会する。
12年前は哲学や文学の話ばかりしていたのだが、今回は病気と健康法の話ばかりしている。
加齢の事実は話題の選択に表れる。
ふたたび火葬場に戻り骨上げを済ませてから斎場で初七日法要を営む。
終わると午後4時。
さすがに少し疲れた。
げっそり痩せてしまった次郎くんに「またね」と挨拶をして、とことこ家まで歩いて帰る。
シャワーを浴びて1時間ほど仮眠。
夕方から福島に出動。
ホテル阪神ロビーで新潮社の足立さんと仕事の打ち合わせ。
ラリー・トーブさんの本の翻訳をどういうふうに進めるか相談する。まだ翻訳権は取っていないのだが、それはトーブさんがつかまらないからである。いまドイツにいるらしい。
それから隣のイタリアンに移って、新潮社のご接待で名越康文先生と「打ち上げ宴会」。
名越先生との対談はいつもシャンペンを呑みながらであったので、二人とも何を話したのかよく覚えていない。
だからゲラを読むのが楽しかった。
今回も乾杯ののち、さっそく『ホムンクルス』をめぐるディープな話になる。
漫画原作者というのがいかに割に合わない商売であるかについて涙なしには聴けないお話をうかがう。
それから私と名越先生に共通の「女性性」の話になり、私たちはふたりとも「根がオバサン」体質であるということが判明する。
そこからエロス論、師弟論、映画論と話頭は転々奇を究め、よく抄出することがかなわぬのである。
今日の話を録音しておけばよかった…と足立さんがさかんに悔やんでいたので、また続きをやりましょうと名越先生と約束してお別れする。
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