江沢民の選択

2005-06-22 mercredi

大学院の中国論では「江沢民の愛国教育」が論題。
先般の反日デモのときに、「あれは 90 年代に江沢民が行った愛国主義=反日教育の成果である」という説明がさまざまなメディアで流された。
ふむ、そうなのか…と思いながら、私自身(それほど熱心な中国ウオッチャーではなかったが、それにしても)90 年代の「文化大革命に匹敵する規模の一大政治キャンペーン」として愛国主義的反日教育が隣国で行われていることを「まったく知らなかった」ということに驚いた。
だが、それは私ひとりのことではなかった。
「90 年代の中国の反日キャンペーンって、覚えている?」という私の質問にゼミに参加していた人々の全員が「記憶にない」と答えた。
江沢民の愛国主義教育宣言は 90 年のものだが、全国的キャンペーンは 95 年の6月から9月にかけて終戦 50 年記念に合わせて行われた。
考えてみるとそのころは阪神大震災とオウム事件の直後である。日本のメディアが内向きになっていたから、隣国での反日政治キャンペーンの展開にメディアの関心も私たち自身の関心も向いていなかったということはありうることである。
しかし、聞いて驚いたことに、当時の日本政府も駐在大使館もメディアも…誰も中国政府に対して「反日キャンペーンは日中関係にとってよろしくないので、自制していただきたい」という申し入れをしていないのである。
反日キャンペーンの危険を最初に指摘したのは外国メディアである。
『ニューヨークタイムス』は直後に「反日キャンペーンは良好な日中関係を損なうので止めた方がいい」というオピニオンを掲げている。
私の記憶するかぎり、日本のメディアはそのような報道をしていない。
どうして?
私たちはふつう「自分が知っていること」に基づいて政治的意見を作る。
しかし、「自分が知らないこと」に基づいて政治的意見を述べるという方法も存在する。
「私はなぜこの事実を知らなかったのか?」というのはすぐれて分析的な問いである。
「日本のメディアは報道していない」というのは、おそらく私の勘違いで、実際には95年当時のメディアも中国における反日キャンペーンを報じていたはずである。
ただ、その「熱」が有意に低かったというだけのことである。
「みなさん、中国ではたいへんなことが起きてますよ!」というような喚起力のあるメッセージをメディアは発信していなかった。
なぜか?
おそらく政府(その頃は村山富市首相)がこの中国におけるマヌーヴァーを意図的に「軽視」しようとしていたからである。
なぜ日本政府は隣国政府が展開している有害性の高そうな反日キャンペーンをあえて無視したのか?
これは考えるに値する論件だ。
外交史的に考えると、この時期に急に反日キャンペーンがなされなければならないような日中関係上のフリクションは存在しない。
村山首相は戦後歴代の首相の中ではもっとも積極的に戦争責任について言及し、アジア人民への謝罪のことばを繰り返した人であるから、むしろ中国人の対日感情はこの時期に「小康状態」ないしは「かなり良好」であったはずである。
それが戦後 50 年「だから」というのでいきなり悪化したとは考えにくい。
その前の毛沢東、周恩来時代以来、日中のあいだで共有された「歴史認識」は「中国人民と日本人民はともに日本軍国主義の犠牲者である」という「物語」であった。
「悪いのは日本軍国主義」で、日本人民を責めるべきではない、という「物語」を採用することによって日中友好の礎は築かれた。
ということは、「日本軍国主義は悪い」という歴史観そのものに日本は(現代の日本国民を免罪してもらう代償として)公式に同意してきたのである。
だから終戦 50 年を記念して、中国が「日本軍国主義の悪行凶行」をことさらに誇示するキャンペーンを展開したときも、それが半世紀前の歴史的事象である「日本軍国主義」を標的にする限り、日本政府には「現代日本国民を代表して」それに異議を申し立てる外交的根拠がなかったのである。
そう考えると江沢民がなぜこの時期に反日キャンペーンに熱を入れたのか、その理由がわかる。
89 年のソ連崩壊と胡耀邦総書記の死をきっかけに起きた社会主義圏の崩壊、民主化運動、天安門事件、新彊ウイグル地区での反乱の勃発、党内闘争の激化…という危機的状況の中で、政権基盤の脆弱な江沢民が「抗日戦争の記憶」をケルンにした国民精神再統合運動を企画したというのは(ベタな政策だが)、十分にありうることである。
その「窮状」を察知した、当時の村山内閣が「中国の反日キャンペーンはあくまで『日本軍国主義』に対するそれであって、現代日本を標的にするものではない」という中国政府のエクスキュースを受け容れたというのはありそうなことである。
隣国におけるこの全国規模のマヌーヴァーを「中国が内乱状態にまで分裂することは日本の国益にならない。ここは愛国主義でもなんでもいいから、とりあえず中央政府には政治的統合を維持できる程度のハードパワーを回復していただきたい」という政治判断から日本政府が「あえて軽視する」という政策を採択したというのは、十分にありうることである。
だから、外務省もメディアもアメリカ政府も、なるべくその問題にはおおきく触れないように、「そ知らぬ顔」をしていた…
という理路だったら私にも納得がゆく。
おそらく私たちが 90 年代の江沢民の反日キャンペーンを日中関係に重大な影響を及ぼす政治的事件として記憶していなかったのかのはそのせいなのだろうと思う。
だが、結果的にこの「ベタな政策」は国内的には統合のファクターとして機能して、内乱的危機の回避には成功したが、その代償として、中国国民のなかに根強い反日感情を扶植してしまった。
自分で撒いた「反日のタネ」の処理に、そのあと江沢民自身はかなり苦労したはずである。
7年前の江沢民の訪日のときの歴史認識問題での発言はほとんど「異常」なまでに執拗なものであり、日本政府はこれに対して「何を言うか」的な原則的な対応に終始した。
「日中の歴史問題というのはあくまで『日本軍国主義は悪い』という話であって、いまの日本の政策をその文脈では批判しないというのが日中友好条約以来の暗黙の了解だったじゃないですか」
というのがおそらく日本政府の言い分だったのだろう。
現に、このときの江沢民発言については、海外のメディアも日本のメディアも、「自分で点火してしまった反日キャンペーンのつじつまをあわせるため」という中国国内向けの政治的なパフォーマンスであるという評価でだいたい一致していた。
これに限らず、中国政府の政策決定は決定プロセスが不透明なので、いったいどういうファクターの複合的な結果なのか判定するのがなかなかむずかしい。
89 年から 97 年にかけて、中国国内がきわめて政情不安定であった時期に中国政府はどのような政治的ファクターを考慮しつつ政策決定をしてきたのか、それについて十分な情報がないと、政策の当否については軽々に判断を下すことはできない。
ということを実感させられた発表であった。
それにしても、「全員が中国問題の素人」のゼミにしては、いつも中身が濃いのに感心する。
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