朝、野崎次郎くんから電話があり、癌で闘病中だった奥さんの川崎ヒロ子さんが今朝の6時20分に亡くなったという知らせをうけた。
享年55歳。
次郎くんとは19歳のときからの友人である。
バイト先で知り合ってからかれこれ30年余つるんで遊んできた。
私が神戸女学院に職を得て移ったのに前後して、彼も神戸海星におつとめの同業の仏文学者であるヒロ子さんとの結婚を機に、住み慣れた新宿を後にして関西に移住してきた。
六甲山で行われたふたりの結婚式の司会をおおせつかった縁で、ご夫妻とはずっと親しくさせていただてきた。
2001年の夏、語学研修の付き添いでパリのバスティーユ広場の近くに逗留していたときに、ご近所にいた野崎夫妻とご飯を食べに行ったり(そういえばこのときは「万博のさっちゃん」もいっしょだった)、コンサートにいったり気楽なバカンスを楽しんだ。
それが元気なころのヒロ子さんと遊んだ最後の機会になった。
そのあともおふたりで「阪神間仏文学者忘年会」には参加してくれていたが、一年半前に肺癌が見つかり、去年の暮れのわが家での忘年会に少し体調が戻ったといって来てくれたのが最後の思い出になった。
先日お見舞いにいったときはもう意識が混濁して、かろうじて名前をつぶやいてくれただけだった。
ほんとうに仲の良い夫婦だったから、半身を失った次郎くんの落胆を思うと胸が痛む。
通夜は22日(水)午後6時から、告別式は23日(木)午前11時から、芦屋ホール(阪神芦屋駅から南に徒歩3分。芦屋市役所向かい)にて。
ヒロ子さんの魂の天上での平安を祈ります。
残されたご遺族の方々のうえに神の豊かな慰めと癒しがありますように。
いささか暗い気分で大学へ。
アイオワのグリンネル・カレッジという大学の訪日教授団をお迎えするという公務があったので、はやめに大学にでかける。
「横飯」か、めんどくさいなあと思っていたら、隣に座ったのがジョレンビーさんという日本文学の専門家で今回の訪日団のリーダーのたいへんフレンドリーな女性だったので、ほかのアメリカ人の先生もまじえて日本語英語ちゃんぽんで訪日の成果について伺う。
みなさんは広島や靖国神社にも行かれたそうである。
たいへんリベラルな大学らしく、私が話したふたりの先生がたは第二次世界大戦末期のアメリカの原爆投下や東京大阪の大空襲を「あんなことをアメリカはなすべきではありませんでした」と沈痛な面持ちで語り、「でも、アメリカの一般市民は自国の軍隊が日本に対して何をしたのか、ほとんど何も知りません…」と自国の歴史教育の不備についてきびしい自省のことばを漏していた。
バイブル・ベルトのど真ん中にあるアイオワの大学人がそんなことを考えているのか…と私はいささか驚いたが、ジョレンビーさんは「私たちはアイオワでは孤立した〈島〉なんです…」と苦笑していた。
そのような〈島〉を財政的に支える強固な支援者がいて、そこでリベラルアーツ教育がきちんと機能している。
アメリカの「底力」はやはり侮れないと改めて思う。
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(2005-06-20 23:45)