中国的知識人との対話

2005-06-10 vendredi

朝一でゼミをしたあと会議が三つ。
最初の会議は私が議長であるから眠るわけにはゆかないが、あとの二つは開会宣言後たちまち睡魔に襲われ、必死で眠気をおしのけて、ときどき「採決」の声が聞えるたびに自動的に挙手しているうちに会議がめでたく終わる。
こういう会議は「誰かに一任」という委任状をもっと活用してよろしいのではないだろうか。
例えば、私の場合なら、私が出ない会議であっても原田学長や古庄総文学科長や東松大学事務長やナバちゃんやワルモノ先生が出席されるならそのどなたにでも全権委任するにやぶさかではない。
そうやってみんなで仕事をシェアしていれば出席する会議の数はそれぞれ数分の一に減じることが可能なのであるが…と一瞬考えたが、たぶん嬉々として全権委任するようなグータラ野郎は私だけなので、みなさまの仕事はたぶんあまり減らないのである。
科別教授会のあと、いあわせたウッキーから「自転車を無償で入手する幸運」のめぐりあわせについて不思議な話を聞きしながら坂を下りている途中でアラーキー課長と会って、KCバスケ部の再生についてのよろこばしい報告をお聞きする。
その足で「愛蓮」での新任教員歓迎会に。
今年の新任教員は法学の米田先生と広州からお越しのT先生。
大学院で「中国論」を講じているウチダとしては、中国の知日派知識人の「なまの声」を伺うことのできるレアな機会であるので、そそくさとT先生のお隣に席を占めて、乾杯ののち、さっそくディープなお話にとりかかる。
T先生は63年河南のお生まれである。
「ということは文革時代に小中学生ということですね。リアルタイムの文革はいかがでありましたか」
という質問から入る。
T先生はたいへん率直に文革時代の子どもたちがどれほど「革命的」にふるまったかというお話をしてくれた。
「師道尊厳」という文字をペーパーナプキンにサインペンでさらさら書きながら、「教師がすこしでも威圧的なことを言うと、中学生の私は立ち上がって『師道尊厳!』と声を上げたのです」と話してくれる。
「師道尊厳」というのは「先生はえらい」ということのようであるが、そうではなくて「教師よいばるな」ということだそうである。
純粋培養のポスト紅衛兵世代であるT先生はまっすぐに毛沢東思想の無謬を信じ、77年の文革終了と開放改革路線への方針転換を修正主義への堕落だと苦々しい思いで受け止めました…という子ども時代の思い出を話してくれた。
その後の天安門事件、江沢民時代、現在の胡錦濤主席への評価、台湾問題、日本の常任理事国入り、靖国問題、米中関係…とホットな論件について次々とお聞きしたけれど、T先生のお話は私が「国際情勢に通じている中国の知識人ならたぶんこういうふうに考え感じているんじゃないかなあ」という予測とほぼ符合するものであった。
「私が中国の大学教師なら…」という想像力の使い方は私が日中問題を考えるときにつねに依拠するものであるが、それが大筋ではずれてはいないことを知って私はかなり安堵したのである。
とりわけ反日デモの理由となった首相の靖国参拝問題についての中国知識人の批判的スタンスの根拠が「日本の政治家が何を考えているのかわからない」という為政者の「アカウンタビリティ」に対するごくまっとうな「不安」であるという点については、私の見通しがかなり適切であったことを知った。
もちろんT先生は13億人のうちの1人であるから、その意見が中国人全体を代表しているとただちに解釈することはできない。
けれども、私たちが外国に行ったときに「日本人は何を考えているのか?」という質問に対して、必ずしも自分の個人的意見をではなく、「おそらく日本人の大多数が考えているであろうこと」を語らなければならないという内的なプレッシャーを感じるのと同じように、T先生も個人的な意見を多少は抑えても、「中国人を代表して」パブリック・オピニオンを語ろうと努力されていたはずである。
私自身も個人的な意見よりはむしろ、日本の知識人のある「立場」を代弁しようと努めた。
そのかぎりでは、私たちの現状認識にはほとんど「ずれ」がなかったように私には感じられた。
外国人と話していて、これほどまでに「ずれ」を感じないことはたいへんレアな経験である。
知日派のフランス人と話していても、知日派のアメリカ人と話していても、「あ・・このあたりのニュアンスの違いは、ちょっと言葉にできないな」という懸隔を感じることがある。
けれども、中国の人と話しているときには、意見や分析に「ずれ」がある場合でも、それは「ある種のデータを共有できていないことによるずれ」だという気がする。
「話せばわかる」という気がするのである。
ある種の情報を共有すれば、必ずやこの「ずれ」は埋められる、ということが確信せらるるのである。
T先生の専門は中世日本の隠遁文学(鴨長明や吉田兼好)である。
彼らと陶淵明や李白の「隠遁志向」との差異を論じているのを聞いていると、「そうですよね、陶淵明と鴨長明では『遁世』の動機づけがビミョーに違いますよね」ということを私程度の文学史的知識しかもたない人間でも「すぐわかる」。「わかるような気がする」。
この「同文同種」文化アーカイブ共有感覚がもたらす知的・情緒的共感度の高さというのは決して侮ることのできないものである。
T先生は「師道尊厳」と紙ナプキンに書いたときに「厳」の字にうっかり「さんずい」をつけてしまった。
それを「おや?」と私が見とがめるよりもはやくT先生は正しい文字に書き直したのであるが、そのときに「母語を紙に書いているときにその綴り字の間違いに気づく〈外国人〉がいる(なぜならその文字がその〈外国人〉にとってもまた母語の文字であるから)」という不思議な状況は東アジアのいくつかの国民にとっては、特権的な「近しさ」のしるしであるように私には感じられた。
もちろんそのような同文同種的近接性を過大評価することはある意味で危険なことである。
けれども過小評価することも同じように危険なことであるように私には思われるのである。
T先生には大学院の「中国論」にぜひご出席いただくように繰り返しお願いして、お別れする。
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