『スピリッツ』療法

2005-06-02 jeudi

「一行も書いていない」というと角川のE澤さんが凍り付くだろうから、そのあと(深夜11時から)春日対談本の「まえがき」を書き始める。
こういうものは「書きたいこと」があらかじめ用意してあって書き出すものではなく、何となく始まって、「お筆先」に導かれるまま書き進んで行くと、わけのわからない場所に出てしまう…というものである。
春日先生のことを書いているうちに、「東の春日、西の名越」と並び称されたもうひとりの精神科医である名越康文先生がどうして『殺し屋1』や『ホムンクスル』のような「物語」をマスメディアを通じて提供するという作業をしてきたのか、なんとなくわかったような気がした。
私はあの作業を漠然と名越先生が自分の中の暴力性や破壊衝動をキャナライズするための「瀉血(カタルシス)」のようなものだと思っていたけれど、それはまことに皮相な理解であった。
あれは「治療」だったのである。
フロイト博士は無数の洞見によって知られるけれど、そのひとつは「個人の心理は社会の心理である。ゆえに心理学はそのまま社会心理学である」というものである。
名越先生はおそらく診療のある段階で、「こりゃもう、ひとりひとりずつ手作業でケアしているんじゃ間に合わないなあ…」と思われたのであろう。
そこで、「こうなりゃ、みんなまとめて面倒みよう」(@青島幸男)ということになったのではないか。
かくして、匿名の「マッス」であるところの『スピリッツ』読者数十万人(『スピリッツ』の読者層はほぼそのまま名越先生の患者の年齢層に相当する)を「まとめて診療する」というスケールの大きい暴挙(つうか快挙)に一気に出られたのでは、とひそかに忖度するのである。
現在週刊誌としては最大の発行部数に達した『ビッグコミック・スピリッツ』は読んでない方には想像もつかないだろうが、実に「コア」な漫画雑誌である(私のところには、名越先生のご厚意で、毎週小学館から送られてくる)。
読者層がものすごく狭い幅で限定されてのである。
つまり、十八歳から二十四歳くらいまでの就活中、NEET、引きこもりなど、将来が決まらないでうじうじしている男性読者をメインターゲットにした雑誌なのである(そんな雑誌があるんですよ。驚くでしょ)。
ここまで日本の出版状況が「読者の差異化」を推し進めていることを私は不明にして最近まで知らなかった。
ともかく、この読者層の精神的な脆弱性が日本社会の「弱い環」であることは間違いない。
名越先生はここに「治療」対象をピンポイントしたのである。
それはおそらく着実に効果をあげている。
名越先生が大阪のクリニックをセミリタイアして、「作家活動」の方にシフトしているのは、この戦略の手応えを感じ取ったからである。
で、春日先生も同じように、ある社会集団を「物語」的に治癒するという「大技」を繰り出しているのではないかと私は想像したのである。
そのことを縷々記しているうちに「まえがき」が書き終わった。
時計を見ると日付が変っていたので、あわててベッドに飛び込む。
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