六月になると彼女は

2005-06-01 mercredi

「死ぬかと思った五月」が終わったら、「死にそうな六月」が始まった。
5月末日締め切りの「春日先生対談本」の「まえがき」を一行も書いていないことを発見すると同時に6月3日締め切りの「池上先生対談本」の「まえがき」も一行も書いていないことを告知される。
そこに『エピス』の越後屋さんから「ひみつのビデオ」が届いて、6日締め切りでよろしくと添え書きしてある。
うーむ。
『文學界』は24日締め切りだからまだ日にちがあるが、今回分は講義ノートがないので、一から書き下ろしである。終章であるから、それなりにフィニッシュを決めなければならないのであるが、まったく構想が立っていない。
六月の日程表をみると、第一週の週末は信州、第二週は土曜に講演、第四週は箱根でトップマネジメントカフェの講演。唯一空いている第三週は合気道部の新歓コンパ…
定例の授業と会議以外に(オフの日に)特別講義が二コマ。業務出張が一回。
指折り数えると、6月のオフ(つまり終日机に向かって原稿書きに集中できる日)は12日(日)と22日(水)と29日(水)の三日だけということである。
これは現段階でのオフであるから、このあと「どこか空いている日がありますか?」というお問い合わせがあった場合に順番に消されてゆくことになる。
死ぬ気でかからないと、『文學界』はほんとに「落とす」かもしれない。

今日はひさしぶりのオフだったけれど、倉敷で赤澤清和くんの遺作展がある。これは行かないわけにはゆかない。
新幹線と在来線を乗り継いで倉敷へ。
牧子さん、赤澤さんのお母さんとお会いしてお悔やみを申し上げる。
狭い個展会場にはお客さんがぎっしり。
赤澤くんの作品が文字通り「飛ぶように」売れていた。
これで会期末まで展示品があるのかどうかよけいな心配をする。
私も彼の作品(小鉢)を一つ買う。
「これで冷奴食べてもいい?」とお訊ねすると、どんどん使って下さい。赤澤のガラスは丈夫ですからと牧子さんが言ってくれた。
でも、もったいないくらいきれいなガラス器なので、やっぱり棚に飾ることにする。
小一時間いてから、笑顔を絶やさずくるくる働いている牧子さんに、じゃねと挨拶して、新神戸に戻る。

帰り道に「そごう」で靴を二足まとめ買いする。
いったん家に戻ってから、気を取り直して神戸赤十字病院へ野崎次郎くんの奥さんの川崎ヒロ子さんのお見舞いにでかける。
もうモルヒネでペインコントロールしている状態なので、意識がだいぶ混濁している。
それでも「内田くんが来たよ」と次郎くんが教えると、手を差し出して「こんにちは」と挨拶してくれる。
手を握ったり、話しかけたりすると、そういうフィジカルなメッセージから何か「温かい」ものを感じるらしくて、表情がやわらぐ。
二週間ほど前に緊急入院した直後はだいぶ憔悴していた次郎くんもずいぶん落ち着いてきた。
でもげっそり痩せている。
愛する人を失ったばかりの教え子と、愛する人を失いつつある友人に一日のうちに会ったことになる。
その二人には共通するある種の「透明感」がある。
不思議に穏やか気分で帰途につく。
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