忙しい五月の最後の週末

2005-05-29 dimanche

とっても疲れる五月の最後の週末が終わる。
28 日土曜日は日本武道館で全日本合気道演武大会。
多田塾甲南合気会公式デビューの記念すべき日である。
前夜からの「持ち越し疲労」で朝から眼の下にぐっきり黒い隈をつくってよろよろと新大阪駅へ。
新大阪集合者はウッキー、ドクター、飯田先生、石田 “社長” の五名。
7時53分の新幹線で一路東京へ。
合気道のイベントはつねに「現地集合現地解散・あとは自分の才覚でなんとかせよ」という自力更生な方針を貫いているので、いったい誰が何時にどこに来るのか最後までわからない。
いかなる手段を用いても、所定の演武開始時間までに武道館の畳の上にたどりつくこと、ということしか指示していない。
たどりつければオッケー。たどりつけない人にも別にペナルティーがあるわけではない。
人生というのはえてしてそういうものである。
誰もたどりつけないで私ひとりしかいないなら、それはそれで、たまたまその辺を歩いていた気錬会の運の悪い子(ヒロタカくんとか)をつかまえて、「おお、ちょうどよかった、受け、取って」と言うだけのことである。
地下鉄大井町の駅で神戸せいぶ館の中尾館長とばったりお会いする。
中尾さんは90年に私が神戸に赴任してきた最初の年(まだ自分の道場がなかった時期)に、合気会神戸支部精武館道場に「間借り」してお稽古させていただいたときに快くお受け入れくださったありがたい道友である。
精武館道場には女学院の合気道部ができたあとも、部員たちともどもずいぶんとお世話になった。
95年の震災で道場は全壊してしまったが、そのあと中尾さんは道場名を継いだ「せいぶ館」を神戸市内に自力で建てられ、創設された兵庫県の合気道連盟の中心メンバーである。
県連には何度か参加のお誘いを頂いたのであるが、大学のクラブに毛が生えたような小さな組織であるので、参加をご遠慮していたのである。
だが、今般「多田塾甲南合気会」と改称して地域の道場としての方向がはっきりしてきたこともあり、中尾さんとの再会を奇貨として(というか、「ウチダさん、あんた、入らなあかんよ」とヘッドロックされて)、県連にも参加しますとご挨拶する。
全日本合気道演武大会は今年が43回。
私はその15回目(日比谷公会堂から武道館に移った年)から参加しているので、今年が28回目に当たる。
鬼籍に入られた先代の吉祥丸道主や白田師範や山口師範が演武されている頃から一度も欠かさずフルエントリーである。
最初の年はたしか参加者が2000名だったと記憶している。
今年は6800名。
海外85カ国に支部があり、世界150万人の道友がいる。
合気道もその間に大きく成長したのである。
組織がだんだん大きくなって「知らない人」が増えてきたというのではなくて、やたらに「知っている人」の数がふえて、10メートル歩くごとに「や、どうも元気ですかあ」と挨拶したり握手したりハグしたりしなければならないというのが合気道の素晴らしいところである。
武道館前で「現地集合」の部員諸君と合流、小堀さん岡田さん今崎さん坪井さん笹本さん寺田さん小林さんジョバンニさんなどと会うたびに「ややややどもども」とご挨拶。
演武会は「いつものとおり」の全世界の合気道家の「お祭り」である。
この毎年「いつものとおり」という予定調和がほんとうに素晴らしい。
二年生諸君と白川主将(去年は骨折でリタイヤ)は今年が最初の武道館出演である。
高雄くんの友だちの N 大の横地早和子さんがどういう魔術をつかってか10000人の観客の中から過たずウチダを発見して、部員一同への「おみやげ」を下さった。
どうして発見できたのか不思議だねとかたわらのウッキーに訊くと、「先生は背中から見ただけでわかりますから」とつまらなそうに答えるので、とりあえずしばき倒す。
「なんで怒るんですか…」と泣くので、そういえば別に悪口を言ったわけでもないのに済まないことをした。
自分たちの演武のあと、その横地さんを相手に演武の「解説」をする。
合気道のよいところは他人の術技を批判しないところです、と説明していると横地さんから「あの…さきほどからずっと他人の術技をめちゃくちゃ批判されているような気がするんですけど…」という痛い視線が突き刺さるので、反省。
多田先生の感動的演武を拝見したのち、恒例の武道館前記念撮影を終えて、どっと九段会館屋上ビアガーデンでの多田塾打ち上げへ。
気錬会の伊藤新主将を囲んで、“至宝” 工藤くん、“王子” 井上くん、早稲田の “新婚” 宮内くん(奥様は私の本の愛読者だそうである。宮内くん、いい奥さんをもらったね)らと歓談。
翌日の五月祭演武会には残念ながら参加できないので、「うちの若いもんがお世話になりやす」と別れを惜しみつつあたふたと「下川社中」ご一同とともに東京駅へ。
日曜日は湊川神社の神能殿にて恒例の下川正謡会大会。
さすがに疲労困憊して朝起きるのがつらい。
私の出番は夕方4時頃なので、午後3時まで寝ていてもよいのであるが、社中のみなさまは早朝から(ドクターなんか朝8時半から)詰めているので、私ひとり寝ているわけにもゆかない。
8時半に起きて稽古。
神楽を舞い納めてから『葵上』の稽古もして、あわてふためいて神戸へ。
開会に20分ほど遅れてしまう。
すでに大西さんとドクターの出番は終わったあと(すまぬ)、飯田先生とウッキーの素謡『小袖曽我』にかろうじて間に合う。
みなさまの初仕舞を拝見してからロビーへ出る。
本願寺のフジモトくん、“元美人聴講生” の江田くん、“街レヴィ” 小林さん、”社長”(せっかくの休日なのに・・・)、”IT秘書” イワモト、合気道部「居残り組」の溝口さん、くーさん、嶋津さん、卒業生の角田くん、蔵屋くん、三杉先生はじめ大学のみなさんも大挙してお越し下さっていた。
ひととおりご挨拶したが、なにしろ疲労困憊しているので社交的会話もしんどい。
そろそろと抜け出して神能殿内で寝られるところを探す。
楽屋では人目があって寝られないし、見所では寝心地が悪いし(そういう問題か!)、廊下の奥に人気のないソファを発見して、そこで爆睡。
2時頃にのそのそ起き出して、楽屋でのそのそ着替え。
不眠のオガワくんの『船弁慶』を中入りまで見所で見てから、楽屋でスタンバイ。
予定通り4時25分に舞囃子『巻絹』。
97年から数えて8回目の舞台であるが、これほど体調が悪かったのははじめてである(というのは嘘で、二年前の『養老』のときは足首を捻挫したまま舞囃子を舞ったのであった)。
でも、これほど疲れて舞台に出るのははじめてである。
しかし、ステージを前にしたときのアドレナリン放出というのは恐ろしいもので、切戸口の鏡で顔を見ると、ふつうの顔にもどっている(さっきまで眼の下に隈があったのに)。
おっしゃーと気合いを入れて舞台に出る。
申し合わせでは無人の見所を前にしてあがってしまって、それまでの稽古で一度も間違えたことのないところで拍子を踏み間違えたが、いざ舞台に出ると、わが家の(あまり掃除してない)フローリングよりも舞台の床の方がずっと足の運びが楽だし、囃子や地謡のグルーヴ感も生演奏ゆえに心地よい。
そのまま気合いで押して、一気に舞い終える。
やれやれ。
下川先生に「よかったよ」と肩を叩かれて、ほっとしてばたばたと着替えて、素謡『葵上』。
こちらはワキツレなので、だいぶ気楽である。
謡い終えて、見所に走って下川先生の番外舞囃子『高砂』を堪能する。
お師匠さまはほんとにかっこいい。
ほれぼれと見終えて、最後まで見て下さった見所のみなさま方にご挨拶。
川村さん、平山さん、三杉先生、角田さん(さっきのとは違う人ね)、小鼓の高橋奈王子さん、ゼミ生の佐々木さん田中さんなどなどたくさんの方々から楽屋見舞いを頂く。
朝から最後まで、みなさんどうもありがとうございました。
次回は、ドクターや大西さんの初仕舞も見られますからね。お楽しみに!
正謡会はほんとにストレスフルなイベントであるが、それだけに終わったときの解放感はほかのどのようなイベントとも質が違う。
ほんとうに肩の荷が下りたような安堵がする。
打ち上げビールや紹興酒をがばがば呑んで、大騒ぎして、今年の正謡会も無事終了。
ほんとにほっとする。
--------