日本記号学会にて

2005-05-23 lundi

日本記号学会にお招き頂いたのは今回が二度目である。
10年ほど前に同志社での学会シンポジウムで武道論を一席ぶったことがある。
そのときに私の出るひとつ前のシンポジウムの司会をつとめていた茶髪ロン毛の眼鏡のお兄ちゃんのあまりの仕切りのみごとさに見惚れて、シンポジウムのあとに駆け寄って、その方が何のご専門であるかも知らぬままに、「来年からうちの非常勤に来てください」と名刺を差し出したことがある。
それが「あの」小林昌廣先生である。
日本記号学会にゆくと「面白い人」に会えるという確信がそのときから私に刷り込まれたのである。
というわけで、今般「《大学》はどこへ行くのか?」というたいへんハードコアなタイトルの学会の「大学の未来 新たな改革モデルを求めて」と題するシンポジウムにお招き頂いたときも「はいはい」と二つ返事でお引き受けしたのである。
ご一緒する方々のどなたも個人的には存じ上げないままに、「きっとエキサイティングなみなさんに違いない」と気楽に構えてのこのこ高田馬場なる東京富士大学へ参上した。
出番より早めに到着したので、司会の吉岡洋先生にご挨拶したあと、前の回のシンポジウムを拝聴する。
日本記号学会会長といえば泣く子も黙る山口 “大熊猫” 昌男先生であるが、その跡目を継いだ室井尚先生もさすがに山口先生が跡目に指名しただけのことはある「この世にこわいものはないけんね」的ダイハードな大学人である。
前のシンポジウムではその室井先生が大迫力で座を圧しておられた。
室井先生とフロアとのやりとりがあまりに面白くてげらげら大声で笑いすぎて周囲の学会員のみなさまから「誰だ、こいつは?」的視線を浴びて身をすくめつつ、次なるシンポジウムのために登壇。
パネリストはその室井先生と慶應義塾大学SFCの金子郁容先生、司会は吉岡洋先生。
前のシンポジウムで法人化以後の国立大学の「惨状」について、ずいぶんなお話を伺った後だったので、話を振られたところでとりあえず、「神戸女学院大学は『地上の楽園』です」というお話をする。
ウチダのような人文系ファンタジストが大学管理職の席にあり、自己評価活動の責任者であり、教員評価システムの提唱者であり、大学でもっとも「文科省ならびに大学基準協会寄りの人間」とみなされている神戸女学院大学はおそらく日本でも希有なる「牧歌的」な大学の一つであると申し上げてよろしいかと思う。
なにしろ、どう考えても、本学にはウチダより「体制的な」教員がいないからである。
大学審議会の答申を読んでは「なるほど」とうなずき、大学基準協会の報告書を読んでは「そうだよねー。たいへんだよねー」と涙ぐむ人間はとりあえず教職員の中には多くない(もしかすると、学長と学長室長と私だけかもしれない)。
「もっとも体制順応的」な教員がウチダであるような大学とは、どのような大学なのであろう?
私にもうまく想像がつかない。
うまく想像がつかないが、私が18歳の子どもだったら(ああ、想像するだに怖気をふるうが)、「ウチダが《もっとも体制的》な教員とみなされているような大学なら行ってもいいかな」と思うであろう。
うん、私なら思うな。絶対(そんな学生ばかり集めてどうするのかという問題はさておき)。
学長から本学の「リベラルアーツ教育」の特徴を端的にひとことで言い表すようなコピーを、という募集があった。
私もいろいろ考えた。
「時代錯誤のリベラルアーツ」「時代と添わないリベラルアーツ」「森の奥なるリベラルアーツ」「夜霧の彼方のリベラルアーツ」「浮いてて悪いかリベラルアーツ」「秘密の花園リベラルアーツ」・・・
おそらく学長の御意にかなうものは一つとしてないであろうが、私にはこのコピーのひとつひとつが深い実感を伴っているのである。
本学の最大の魅力は、開学以来一度としてその時代のドミナントなイデオロギーと親和したことがないという、その「場違い」性にある。
私はそう思っている。
130年前、太平洋を渡ってきて、江戸時代と地続きの神戸の街に「自主自立する女性」を育てるための私塾を開設したの二人のアメリカ人女性宣教師はあきらかに明治初年の日本において「場違い」な存在であった。
その起源から「あれ・・・お呼びでない?」的な立ち位置こそが神戸女学院の「本来の」エコロジカルニッチなのであると私は思う。
そして、そのようなポジションにあるときにこそ、本学はその「本来のポテンシャル」をぐいぐいと発揮するのである。
さらに敷衍して、高等教育の本義とは、その時代のドミナントな価値観に対して、そのつど「場違い」であるところにこそ存するのではないかとさえ思っているのである。
だとするならば、その全史においてつねに「場違い」であった神戸女学院とは、その語の正統的な意味において「もっとも高等教育にふさわしい学府」であるとは言えまいか。
金子先生と私の議論が対立したのは、高等教育とは「謎と欲望」の力学を軸に構築されており、それは「数値化」にもっともなじまないものであるという事実についての「評価」の違いであった(と思う)。
数値化とはその時代を支配する度量衡の普遍性に対する信頼を前提する。
「謎」とは、その時代を支配するすべての知的フレームワークの「外部」にあり、そのフレームワークの「解体と再構築」を誘う魅惑的な刺戟のことである。
もちろん「パラダイム・シフト」などということばが登録済みの術語である現代では、「『既存のフレームワークの解体と再構築』のもたらす経済効果は『既存のフレームワーク』換算でいかほどになりますか?」という無邪気なほどにポストモダンな問いを簡単には回避することができない(うう、めんどくさいぜ)。
私と金子先生の齟齬は「あなたがその有効性を信じている価値の度量衡は使い物になりません」という宣告を「その度量衡以外にいかなる度量衡も持たない子ども」に「うん、そうだね」と言わせることが可能かどうか、可能であるとすればどのような手法がもっとも効率的か、という点にあったように思う(主題的には議論されなかったが、それが核心的な論点だったように私は思う)。
金子先生は「説得できるようなデータ」の(あるいは「データの有用性についての信憑の政治的効果」の)重要性を主張されていたかに思うが、私は「うっせーな、いいから黙ってオレの言うことを聞いてりゃいいんだよ」というたいへん乱暴な古典的ソリューションしか思いつかなかったのである(頭悪い)。
とはいえ、この差異は子どもたちのコミュニケーション感受性に対する「期待度」の違いに収斂するのであり、ここまでくるともう学的厳密性よりも、彼らの発信するノイジーなシグナルのどこまで私たちは感知できているかというきわめてデリケートな個人的経験のレベルまで食い込んでくるので、なかなか一般論にはならない。
私が「うっせーな」的抑圧的教授法の有用性について確信していられるのは合気道を教えるという特殊な経験の裏付けによるのであって、これを一般化することは許されないのである。
シンポジウムには久しぶりの増田聡くんが登場。
フロアから質問なんかするので、びっくりする(おどかさないでよ)。
学会のみなさまにご無礼を詫びつつ増田くんと連れ立って東京駅へ。
そこで増田くんのご令室と合流してプチ宴会。
増田夫妻とご一緒するのは「グリルみやこ」以来1年半ぶりである。
増田くんは私がその将来を熱く嘱望するところの音楽学者であることはとくからみなさまご承知のことと思うが、本日も酒杯を重ねつつ増田くんの怜悧に改めて感動。
どうして、こんなに頭がいいんだろう。
私は若い世代に何の気後れもない頑迷固陋爺いであるのだが、この増田くんと飯田祐子先生とワルモノ先生のお三方だけは語るたびに襟を正さずにはおれないレアなる例外である。
未来は彼らのものである。
てことは未来はフェミニストとマルクス主義(左派&右派)のものということなのである。
あらま。
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