悲しいしらせ

2005-05-23 lundi

5月23日(月) 昼から部長会。主な報告事項は節電問題(使わない教室の電気は消しましょう)。議事はなし。オフの日に「こんな話」を聞くために大学まで呼びつけられたのかと思ったら目の前が一瞬暗くなる。会議のあと教務部長室でふてくされて「正しい大学の倒産の仕方」を読んでいたら、ミネソタに日本語を教えに行くおいちゃんが遊びに来たので、隣のオフィスで働いているふりをしているウッキーも呼んでエスプレッソをご馳走する。それから杖道の稽古。

なんだか素っ気ない日記だが、『ダカーポ』という雑誌に今日から一週間の日記を19字×117行書くことになったので、その原稿である。
こんなのを七回書いただけで原稿料をもらったら天罰が下るような気がする。
宮崎哲弥さま(だんだん敬称の次数が上がる)の書評のおかげで大手の書店から『インターネット持仏堂』の注文が殺到して、『2』が四刷りになりますと “魔性の女” フジモトくんから(あまりこんなことばかり書いてると、フジモトくんのご両親から「嫁入り前の娘なんですから! やめてください」と抗議がくるかもしれない)弾んだ声で電話が入る。
でもトータル5000部だそうである。
あのさ、本願寺信徒1500万人じゃなかったの。
信徒全員がお買いになって、1500万部売れるとマイケル・ジャクソンの『スリラー』の全世界セールスとタメですね。わははベンツをダースで買いますか、と釈先生とほほえみ交わした日が遠い夢のようだ。

昨日の日本記号学会のお相手の室井 “二代目大熊猫” 尚先生から丁重なるご挨拶メールが来る。
世の中には「悪童系」というカテゴリーに属する学者がおられる。
その知性の最良の資源の一部を惜しみなく「人をからかうこと」に投資するタイプの人々である。
森毅先生とか養老孟司先生とかはおそらくそのタイプの先達である。
室井先生もなんとなく「ご同類」のような気がしたので、「先生の企画する面白そうなプロジェクトがあったらお声をかけてください」とお願いしておく。
私はほかにたいした取り柄はないが、「人を怒らせる」ことに関しては人後に落ちない。
室井先生であればきっとこの「使途不明」の才能の功利的活用の道をお考えくださるような気がする。

『文學界』のヤマシタくんから明日が締め切りですというメールが来る。
一日延ばしてくださいと返信する。
書くことはたくさんあるのだが、書いている時間がないのである。
「節電」会議なんかあるから。
角川のE澤さんから春日先生との対談本の「まえがき」はまだですかと督促が来る。
まだです。
書くことは(以下同文)
晶文社の安藤さんから甲野先生との対談本のゲラは見てくれましたかと控えめな督促が来る。
静かにスルーする。
そういえば、4月末にはゲラを返しますと言ったきり、鎌倉方面からはゲラが戻ってこない。
今の私に「ゲラまだ見てないんですか」と人を責める倫理的資格があるようには思われないので、わが身の「みそぎ」を済ませて斎戒沐浴ののちにご連絡をするのである。
ご連絡をお待ち下さい。タカハシさん!
というところまで書いたら、ゼミの卒業生の赤澤(旧姓尾川)牧子さんから電話がある。
ご主人のガラス工芸家の赤澤清和くんが昨日亡くなったというご連絡である。
一週間前にバイクで転倒して重傷を負い、そのまま意識が回復しないまま亡くなったそうである。
三年ほど前の夏にベルギーのカナ姫といっしょに岡山の赤澤くんのガラス工房を訪れたことがある。
そのときに彼の手ほどきを受けて歪んだワイングラスを二つ作った。
一つは父の遺影の前に置いて「香炉」代わりに今も使っている。
もう一つの少しできのいい方は「ぐい飲み」にした。
赤澤くんはワイルドで悪童系の好青年だった。
白いタンクトップで上腕を剥き出しにしてバイクでかっとんでゆく彼の姿を見て、「小さい子どももいるんだから、そろそろバイクを降りる年頃じゃないか」とそのときにちょっと思った。
二日前の朝方にその新緑につつまれたガラス工房と彼の屈託のない笑顔をなぜか夢に見た。
夢の中で彼はまたバイクに乗って去っていった。
「バイクは危ないよ」と浅い夢のなかでつぶやいた。
朝起きてからベランダで洗濯物を干しているときに、これは近いうちに牧子さんと会うことになる予兆かもしれないなと思った。
赤澤清和くんに手伝ってもらって作った「ぐい飲み」でいま冷たい白ワインを飲んでいる。
彼の魂の天上での平安を祈ります。
遺された家族たち、牧子さんと二人のお嬢さんの上に神の癒しと慰めがありますように。
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