受難するリベラルアーツ(じゃキャッチコピーにならないな)

2005-04-29 vendredi

連休初日は教員研修会。
午前9時から出勤。
○クルートの大学関連系のシンクタンクのみなさんがどどどと登場して、パワーポイントを駆使して、「これでもか」の大学改革の「ここがツボ」の乱れ撃ち。
本学の大学サバイバル戦略にはツボにはまっているところも多少はあるものの、ツボから大いに逸脱している点もあり、そもそもそこに「ツボがある」ということさえ覚知されていなかった点もあり、太平の眠りを覚ます「黒船的」プレゼンであった。
予期されていたこととはいえ、近隣の各大学のどの学部が「いつ」定員割れを起こすかのシミュレーションを拝見したときは、魂消える思いがした。
なにしろ、危険水位を超えて当該学部が「沈没」するときに、パワーポイントは小さな「ドッボーン」という効果音を発するのである。
「貴学については、このようなシミュレーションはしておりません」と講師の方はおっしゃっていたが、老狐ウチダはそのようなことばを軽々に信じるほど初心ではない。
講演後、階段横で講師の方をつかまえて「ほんとはしたんでしょ?」とぐりぐり脇腹を肘でつつく。
「ね、ほんとのところはどうなんです」
「ま、それはですね、ここだけの話、ごにょごにょ」
「何、『ごにょごにょ』ですか」
「というか、ごにょごにょごにょ」
「ほおお…」
伏せ字部分については賢明なる同僚諸氏の想像に委ねるとして、さまざまな状況的与件が不確定である以上、未来は依然として霧の中である。
リ○ルートのみなさんと、遠藤FDセンター・ディレクター、荒木課長と会食。
会食中も「あの、ここだけの話ですが、○○大学の○○学部ありますね、あれ、どうなんですか」「あ、あそこはですね…」というような生臭い話が続く。
あえて一般論にまとめると、「創意」のあるところに道は開け、「模倣」するものに未来はない、というのが私の総括的印象であった。
世の中というのはなべてそういうものである。
今日のプレゼンで本学について示されたデータのうち、もっとも興味深かったのは本学の知名度が想像以上に低いということであった。
それはもう、驚くべく低い。
競合校であるK女子大やD女子大やM川女子大に比べても「がくん」と低い。
しかるに、「神戸女学院を知っている」「興味がある」集団だけを対象にしたアンケートでは大学評価が高い。
たいへんに高い。
つまり、本学について何らかのことを知っている人間が伝える情報においては本学の評価が高いのである。
で、情報を伝えられない人は何も知らない。
当たり前だけど。
浅草の路地奥の排他的な天麩羅屋みたいな「知る人ぞ知る」大学なのである。
微妙な立ち位置である。
「脱=路地裏」路線を選択して、「カフェ気分でリーズナブルなランチは半天丼にエスプレッソ付きで680円!」的にカジュアル展開するという手もある。
「べらぼうめ、うちは寛永元年からの老舗でい。半チクな野郎に食わせるネタはねえよ」的にあくまでミステリアスなオーラ頼りのインビジブル・アセット勝負という手もある。
悩ましいところだ。
老舗がじたばた「若作り」をしても、空回りすることが多い。
しかし、暖簾だけでしのげる時代でもない。
この「細うで繁盛記」的葛藤そのものを、けれん味なしに、すなおに開示してゆくというのがおそらくは本学のパブリシティの王道なのであろう。
そして、「受難するリベラルアーツ・荒野に屹立するキリスト教教育」の矜恃を保ち続けることがおそらく本学教職員に共通することばにならない願いであるように私には思われた。
あるいは、そのような「あいまいな立ち位置」そのものが、退路を断って太平洋を渡ってきた二人のアメリカ人女性宣教師によって明治初頭の神戸に建てられた女学校の130年の本来的エートスにもっともふさわしいものなのかもしれない。
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