次の総理はこの人

2005-04-26 mardi

文藝春秋から10500円の振り込みがあった。
中途半端な数字である。
いったい文藝春秋で何の仕事したっけ…と考えたが思い出せない。
明細をみたら「文藝春秋5月号・次の総理」と書いてある。
そういえば、何日か前に『文藝春秋』が送られてきたけれど、どうして送ってきたのかわからないまま机の上に置いてあった。
ぱらぱらと目次をひらくと、おお、たしかに「各界著名人が推す・次の総理はこの人」というアンケートがあるではないか。
もしかして、私は「各界著名人」の一人として誰かを「次の総理」として推したのであろうか…
しかし、いったい誰を?
と、はやる心を抑えて頁をめくると…
あ、あった。
内田樹(神戸女学院大学)
タイトルは「浮かんだことがない」
一読すると、いかにも私が言いそうなことが書いてある(書いた覚えはないんだけど)。
しかし、書いた覚えがないこと、言った覚えがないことでも、「いかにも私が言いそうなこと」については発言の責任を取る、ということを私はルールとして自らに課しているので、この原稿料は頂いてよろしいのである。(逆に、実際に書いたり言ったりしたことでも、「そんなこと言うはずがない」と思われることについては、どのような挙証をされても私は一顧だにしない)。
私はいくら酔っていても、書いた原稿をハードディスクに保存することを忘れるほどお気楽ではないから、書いた覚えがないのは、おそらく寄稿依頼が封書で来て、その場で手書きで回答したものを返送したからであろう。
何はともあれ、「書いた覚えはないが、いかにも私が書きそうなこと」を読むのは面白いものである。
64人のみなさまはどなたもたいへんまじめに回答されていて、まじめな回答をしていないのは立川談志と私だけであった(談志師匠と「同じくらい態度が悪いやつ」ということで、私の名は文春読者の方々に記憶されることになるのであろう)。
読者諸氏のために、ここに再録するのである。

「次の総理はこの人
残念ながら思いつきません。別に今の日本の政界には人物がいないからという意味ではありません。考えてみたら選挙権を頂いてから三十年『次の総理大臣に最もふさわしい政治家』の名が脳裏に浮かんだことは一度もなかったんですから。その間も日本は大過なく生き延びてこられたわけですから、今適切な総理候補者の名が思いつかなくても、さしたる不安はありません。むしろ『理想的な政治家などいない』という期待の少なさのおかげで大衆的人気に乗じるデマゴーグ型政治家の出現が阻まれてきたと考えることだってできます。『政治家は有権者よりも知的にも倫理的にもすぐれているわけではない』ということが常識になったことによって、政治がもたらす害悪はあるいは軽減しているのかもしれません。『小成は大成を阻む』と言います。それを倣って言えば、『小さな不幸が大きな不幸の到来を阻んでいる』のが日本の姿とは言えますまいか。」
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