諸先輩と武藏さん

2005-04-22 vendredi

管理職サラリーマンになって3週間目。
お給料が出たので、明細を見たら「役職手当」がついていた。
一日3000円。
そ、そうか。
時給500円のバイトなんだ。教務部長職って。
はは。と虚ろな笑いをしてから、ぺたぺたと書類にハンコを押す仕事に戻る。
いろいろな人がオフィスに遊びに来る(「遊び」じゃなくて、「仕事の打ち合わせ」なのかもしれないけれど、アーバン以来、私は「遊び」と「仕事」の区別がうまく出来ない人間なのだ)。
職務上、これまでは知り得なかったさまざまな「機密」に接する、
「おおおお」
と嘆息する。
歴代の前任者のみなさんも、こうやって「おおお」と嘆息しながら、「ま、こういうことを希望に満ちた若い人に知らせちゃうと意気阻喪するかもしれないからね。ま、おじさんの胸のうちにしまっておこう」と「ぱたん」とファイルに閉じていったのであろう。
そういう「おじさん」たちがときどき遊びに来る。
私がこの大学に来た時の教務部長だったY本先生が、真っ黒な顔をにこにこさせながら「どう? やってる?」とドアから顔を覗かせる。
「せんせー!」とすがりついて、「しんどい仕事ですねー」と泣きを入れる。
破顔一笑、Y本先生は「ま、がんばって」と去って行く。
その次の教務部長だったK田先生が、ごま塩になった頭をゆらしながら「や、ウチダさん。ご苦労さま」と顔を出す。
「せんせー!」(以下同文)
私が着任したときのチャプレンだったS先生も顔を出す。
「せんせー! …をなんとかしてください!」
「それはウチダくん、あなたの仕事でしょ」(高笑い)
学長が顔を出して、「ふふ、ウチダ先生の仕事ぶり拝見に来ましたわ。あら、机小さいですね。先生、もっと大きい机に換えないと、机から電話機落ちそう。ま、がんばって下さいね」
みなさん、私が泣きを入れると実にうれしそうに笑ってゆかれる。
そうか、私が泣きを入れることによって諸先輩たちは「私たちの仕事のつらさがわかったかね」ということを確認されているのである。
なるほど。
私たちは他人の仕事ぶりを批判するときには、実に気楽である。
その職務に自分が就いたら「もっとうまくやれる」とどこかで思っているからである。
でも、そういうもんじゃないみたいです。
三週間やって、ウチダも少しだけわかりました。

水曜日に三宅先生にベリーニにご招待頂いた。
ベリーニの名物ソムリエ、久保さんが心臓の手術から回復されて店に戻ってこられたので、その「快気祝い」をかねての宴会である。
今回もK-1の武藏さんとご一緒である。
武藏さんとベリーニでお会いしたのは、もう二年ほど前のことである。
そのときに伺った「時間の中を動く技法」のネタは、そのあと『死と身体』ほか、なんだかんだで10回くらいさまざまな書き物に使い回しさせて頂いた。
まず、そのお礼を申し上げる。
武藏さんとは三宅接骨院でよくお会いする。
いつもあの大きな体を小さく縮めて、ニットキャップを目深にかぶってソファに座って、じっと順番を待っている。
「あ、武藏さん、こんにちは」
とご挨拶すると、上体をぴんと立てて、「あ、どうも。ご無沙汰してます」とていねいに挨拶を返される。
武藏さんは声が深くて、ゆっくりことばを選んで話す。
他の人たちが大きな声で話しているときでも、武藏さんが低い声で話し出すと、いつのまにかみんな自分たちの話を止めて、武藏さんの話に耳を傾けるようになる。
そういう知的でディセントな人である。
いっしょに何時間かお話ししたが、武藏さんが人の批判をするのを聞いたことがない。
K-1は骨身がきしむようなリアル・ファイトだし、巨額のお金が動くシビアなビジネスでもある。
そういうトラブルサムな場所の真ん中にいる人なのに、武藏さんのまわりだけ時間がゆっくり豊かに流れている。
話すことはさまざまな格闘家の愛すべきエピソードと旅先での愉快な経験と映画のこと。
意外にも武藏さんはコアな映画ファンであった。
ふたりでずっと映画の話をする。
クリント・イーストウッドの映画が大好きで(ババさんも聞けばお喜びになるであろう)、その話で盛り上がる。
読賣新聞の「エピス」という映画評欄を担当しているんですけれど、最終回に特別企画で、武藏さん、ぼくと映画対談しませんか、と越後屋さんに代わって勝手に企画を立てる(谷口さん、なかなか渋い企画でしょ?)
『ミリオンダラー・ベイビー』を武藏さんがどんなふうに評するか楽しみである。
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