メディア・リテラシーについて

2005-04-20 mercredi

一年生の基礎ゼミの最初のレポートに「就きたい職業」というものを課してみた。
「就きたい職業」について、「その仕事に就いている人はどんなことに幸福を感じると思うか?」「その仕事のいちばん苦しい点は何か?」「その仕事に就くために自分に欠けているものは何か?」「その仕事に対する自分の適性は何か?」の四つの設問に答えつつ作文をしてもらった。
16通のレポートが届いた。
どれもたいへん面白かった。
いちばん希望者が多かった職業は何でしょう?
たぶん、だいたいご想像がつくと思うけれど、「メディア関係」である。
アナウンサーが3名、ナレーターが1名。
やっぱりね。わりと平凡だね、という感想を持たれかもしれない。
だが、実際にレポートを熟読してみると、話はそれほど簡単ではない。
アナウンサー志望の1名とナレーター志望の1名が書いていたのは、「声の力」ということであった。
よい着眼点である。
彼女たちは「女子アナ」というきらびやかな職業に憧れているというよりは、むしろ自分の「声」に人々が耳を傾け、それによって人々の意思や判断に変化が生じるという状況に憧れている。
なかなか野心的で奥行きの深い欲望である。
人にことばを届かせるために必要なものは何か?
彼女たちはそう自分に問う。
そして、「正しい日本語運用能力」「積極性」「滑舌のよさ」「幅広い知識」「自信」「英語力」などを挙げている。
もちろん、そういうものも必要だ。
けれども、ことばが「届く」ためには、もっと重要な条件がある。
というわけで、赤ペンを手にレポートの余白にさらさらと感想を書き込む。

ことばが聴き手に届くために必要な条件とは何だと思いますか?
それはなによりも「聴き手に対する敬意」と「メディア・リテラシー」です。
そして、このふたつは実は同じことなんです。
メディア・リテラシーとは日本語で言えば「情報評価能力」ということだと思います(たぶん。私の理解ではそうです)。
「情報評価能力」なら、メディアが報じる情報の真偽や信頼性について適切な判断ができる力、というふうにふつうは思いますね。
でも、私はそれはちょっと違うんじゃないかと思うんです。
たいせつなメディア・リテラシーは「外から入ってくる情報」に対する適切な評価ができるかどうかじゃなくて、むしろ「自分がいま発信しつつある情報」に対して適切な評価が下せるかどうかではないでしょうか?
自分が伝えつつある情報の信頼性について、重要性について、適所性について、きちんと評価が下せるかどうか。
自分が伝える情報は真実か? それは伝えるだけの価値のあることか? それはいつどのような文脈の中で差し出されることで聴き手にとってもっとも有用なものになるか?
そういう問いをつねに自分自身に差し向けられること、それが情報評価能力ということではないかと私には思われます。
どうしてかというと、人間は他人の言うことはそんなに軽々には信じないくせに、「自分がいったん口にした話」はどれほど不合理でも信じようと努力する不思議な生き物だからです。
ほんとですよ。
「お前のためを思って、言ってるんだ」
というのは人を深く傷つけることばを告げるときの常套句ですが、このことばを口にしている人は「私はこの人を傷つけるために、あえて傷つくようなことを言う」という「真実」を決して認めません。
ご本人は「お前のためを思って」という(端から聞くと恥ずかしいくらいに「嘘くさい」)フレーズを心から信じているんです。
「自分がいったん口にしたことば」だから。
それだけの理由で。
不思議な力です。
「どうして私みたいな善良で無垢な人間がこんな不幸な目に遭わなくちゃいけないの!」ということを言う人がときどきいます。
この種のことばの呪縛力は強烈です。
こういうことばをいったん口にしてしまった人はもう「自分の悪意が他人を傷つける」可能性の吟味には時間を使わなくなります。
怖いものです。
自分の発したことばが自分の思考や感性を呪縛する力の強さを侮ってはいけません。
だから、メディアにかかわる人間の「情報評価能力」はまずもって自分自身の伝えるメッセージの「真偽」と「重要性」と「適所性」について向けられなければならない、私はそう思います。
その評価の努力は「聴き手に対する敬意」によってしか担保されません。
いくら滑舌がよく、博識で、英語ができて、自信たっぷりな人でも、その人が「自分の話を頭から信じ込む」タイプの人であれば、その人のメディア・リテラシーはきわめて低いと断じなければなりません。
そして、その人のメディア・リテラシーの低さは聴き手に対する敬意の欠如ときれいにシンクロしているんです。
だから悲しいことですけれど、いまのマス・メディアには、そういう意味でのメディア・リテラシーを備えた人はほとんどいない、ということですね。
まことに残念ですけど。
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