合気道のお稽古をお休みして、NHKに行く。
ラジオの生放送に出るためである。
「かんさい土曜ほっとタイム」という1時半から5時近くまでやるNHK第一の全国放送の「おもしろ人物ファイル」という番組にお呼び頂いたのである。
去年の暮れに話があったが、土曜というので稽古休みたくないなあ…と四の五の言っているうちに話が立ち消えになってやれやれと思っていたら、またオッファーが来た。「二顧の礼」を尽くされてむげに断るのも常識ある社会人としてはいかがなものかと考えて、お受けしたのである。
私はテレビに出ないということをプリンシプルにしているが、ラジオというメディアには好感をもっている。
前も書いたけれど、テレビというのは「テレビ放映をする」ということ自体が自己目的化していて、何を放送するかということについては副次的な関心しか払われないメディアである。
それもしかたがない。
制作費がものすごくかかるからである。
制作者やスポンサーが求めるのはプログラムのクオリティよりも、何はともあれプログラムが予定通り放映されることである。
きわめてタイトなスケジュールのなかで、とにかく破綻なく時間内に収録を終えるということにスタッフの技術的関心のほとんどが向けられる結果、スタッフにとってさえ、コンテンツについての興味が相対的に低いのである。
一度だけテレビに出たけれど、そのほとんど誰も見ない「朝日ニュースター」でさえ、制作のスタッフたちは機材の調整とタイムキープに関心の95%を集中しており、ゲストの話に耳を傾ける余裕はなさそうであった。
制作スタッフが放送している当のコンテンツに関心を持つことが構造的に困難なメディアというのは、どこかが病んでいる気がして、爾来私はテレビに出ないことにしたのである。
ラジオはその点、カジュアルである。
初期投資以外、放送にかかるコストは電気代だけである。
放送技術も半世紀くらいぜんぜん変っていない。テレビやネットにくらべたら、ほとんど「牧歌的」なテクノロジーである。
だから、スタッフたちも放送内容をちゃんと聴いて、それに対してひとりひとり個人的なリアクションをすることができる。
メディアはやっぱりこうでなくちゃ。
生放送の30分前にスタジオに入る。
別に打ち合わせらしいものもない。
話題が切れたら音楽でもかけましょうかね、何がいいですか。うんと、ジェームス・テーラーとボビー・ヴィーがいいですねというくらいのラフな打ち合わせである(結局話がぜんぜん終わらなくて音楽を入れる暇がなかったけど)。
第一、インタビュアーのおふたり(佐藤アナウンサーと遙洋子さん)はスタジオで本番中だから打ち合わせなんかできない。
そのまま時間になってスタジオに入る。
NHKラジオのスタジオは窓の外に大阪城が見えて、たいへん眺望がよろしい。
遙さんは上野千鶴子のお弟子さんであるので、「あ、ども、上野先生にはいつも失礼なことばかり申し上げて、さぞやお腹立ちでございましょうが、ま、これもいろいろ事情がございまして…」とごにょごにょ言っているうちに放送が始まる。
遙さんは私の本をずいぶん読んでらして、適切な質問をしてくれるし、佐藤アナウンサーはすごくリラックスした受け答えをしてくれるので、ふつうに喫茶店でおしゃべりをしているような感じで、あっというまに1時間が経って、生放送が終わる。
やあ、面白かったです。音楽入れる暇なかったですね、とディレクターの周山さんに言われて、はあ、どうも、お疲れさまでした。じゃあ、とそのまますたすたとスタジオを出て、地下鉄に乗って、家に帰る。
また出て下さいねと言われたけれど、平川くんか名越さんか高橋さんと,だらだらおしゃべりさせてくれる企画だったらいいなあ。
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(2005-04-09 20:51)