「この球は唯一無二の一球なり」

2005-04-08 vendredi

金曜は一週間でいちばん忙しい日である。
今日はまず朝一のチャペルアワーで新任教員歓迎の礼拝に出席。
今から15年前に私も新任教員として、この礼拝でご挨拶をした。
そのときに「関西出身の友だちから、『関西は東京とは別の文化圏で、東京生まれのウチダにとって関西人はエイリアンに見えるだろう』と来る前にアドバイスされました」と挨拶して、満座の失笑を浴びたことを懐かしく思い出す。
そうアドバイスしてくれたのは灘高出身の故・竹信悦夫である。
東京ファイティングキッドである私が阪神間のこの大学にソフトランディングできたのは、この竹信くんの大学在学中からの懇切な関西文化講義をつつましく受講していたおかげである。
関西には「吉本」というものがあって、典型的関西人は毎週土曜の午後放映の「吉本新喜劇」のオーラを幼少期から浴びているということも彼から教わった。
私はもちろんそのようなものの存在さえ知らなかった。
彼の身ぶり手ぶりの解説に感動した私たち(私と植木正一郎くんや浜田雄治くんら東京シティボーイズ)はつれだって 75 年の春休みに武庫之荘の竹信くんの家に泊まり込んで、「吉本思想を学ぶツァー」と称して数日神戸や大阪を歩き回った。
それが卒業旅行だった。
梅田花月の舞台で間寛平という名の東京のメディアに出たことのない不逞な役者が舞台をさわがしく走り回っていてカルチャーショックを受けたことを覚えている。
30 年前の南京町は汚い路地が縦横にめぐるアンダーワールドで、50円で2個の小さい肉まんを壁土のはげ落ちた薄汚い老祥記という名のあばらやで食べた覚えがある。
「これがうまいんだよ」とほくほくしている竹信くんの顔を思い出して、90 年に関西に来てすぐに南京町に行ってみたら、その店の前には情報誌を手にした観光客が20メートルくらいの列をつくっていた。
その竹信くんがウェブに執筆していたエッセイ集が友人たちの編集でもうすぐ出版される。
私と高橋源一郎さんが「竹信悦夫を語る」という対談をして、「ふろく」につけてもらうことになっている。

今期最初の授業は一年生の基礎ゼミ。
このゼミの教育的目標はコミュニケーション能力の開発です、とご挨拶をする。
コミュニケーション能力というと諸君は適切なことばやみぶりを駆使して「自己表現する能力」ということを考えられるかもしれないけれど、それはすこし違う。
コミュニケーションの基本はまず「聴くこと」である。
君たちの耳にはとりあえず「ノイズ」にしかきこえないシグナルを「メッセージ」として読み解くこと、それがコミュニケーションの基礎である。
ノイズをメッセージに繰り上げるためには、聴く君たちの「理解のスキーム」のどこかに「外部へひらくドアをあける」ことが必要だ。
それは「理解できないことばに耳を傾ける」という構えによって示される。
他者から到来する「理解できないノイズ」に敬意をもって耳を傾ける習慣をもつことができる人間だけが、自分の中からわき上がる「理解できないノイズ」に敬意をもって接することができる。
自分の中からわきあがる「理解できないノイズ」をメッセージのかたちに組み立てる能力、それがそのまま「表現する力」に結実する。
そのためにはまだ諸君の語彙に登録されていないことばを探し当て、語りのトーンやピッチを選び出す作業が必要だ。
わかりにくい話ですまない。
しかし、こういう「わかりにく話」をひたすら浴びることによってしか、諸君のコミュニケーション能力は育つことがないのである。
という話をした数時間あとに、科別教授会で「基礎ゼミの心得」として、ナバちゃんが同じことを語っていた。
まことに得難い友である。

午後 1 時から教務委員会。
超ハイスピードで議事進行し、20分で会議日程を終わらせる。
人間科学部のN田先生は研究科委員会を15分で終わらせたことがあると伺っているので、いつかその記録をどこかの委員会で破りたいと思っているのだが、なかなかその機会に恵まれない。
さまざまな案件を片づけているうちに科別教授会。
総文のF庄学科長は人も知る「定刻主義者」であるので、会議は定刻に始まり、予告された定刻に終わる。
よいことである。
F庄先生は腰に古傷がある。
時々苦しそうに腰を抑えている。
いつか訊いたら「機動隊にやられたんだよ」と笑いながら教えてくれた。
30 年前の古傷である。
私はあの時代にバンドエイドを貼るかすり傷を負ったこともない。
「私には守護霊がついている」と称して革命的警戒心のまったく欠如した日々を送っていたのであるが、まわりの学生たちの中には脳挫傷で苦しんだものも脊髄をやられて下半身不随になったものもいた。
なんだかその人たちの不運を代償にしているような気がして、やがて運を試すのを止めた。
名医がいますよ、とF庄先生に三宅先生をご紹介したら、それから週一で通っておられる。
だいぶ具合がよくなったそうである。

リラックスするにはどうしたらよいのですか?
という質問をメールで頂いた。
テニスをしている方からである。
こんな質問である。

「当方、趣味程度にテニスをやっている者ですが、仲間やコーチから『リラックスできていない』と言われます。
リラックスできていないから、動きがぎこちない、早いタマに反応できない、コントロールが乱れる、という現象が現れるというのです。
ところが『リラックスする』とか『リラックスした状態』というのが、いざ相手からのタマが飛んできている中でどうすればよいのかを『言語化する』、『イメージする』ことができません。具体的にどうすれば良いのでしょうか。
全く分野の異なる合気道でも、多分リラックスすることは重要だと思いますし、先生の近著『先生はえらい』のなかでの『居つき』の話は『!』と膝を打ちました。
お忙しいとは思いますが、どうかご助言をお願いします。」

身体運用の核心に触れる質問であるので、丁重にお答えする。
この方からのメールにはこうご返事した。

「質問のお答えになっているかどうかわかりませんが、『リラックスの逆説』についてお話したいと思います。
よく『リラックスしろ』と言いますよね。
でも、『リラックスしないと罰を与える』という条件でリラックスできる人間はいません。
テニスではリラックスできないとプレーの精度が上がらない、だからリラックスせねば・・・というのは、すでに文型そのものがストレス負荷的に構文されていますから、その条件下でリラックスするのは困難です。
『リラックスする』というのは『いざ相手からのタマが飛んできている中』でやることではありません。
リラックスというのは『すでにリラックスしている』という状態の動詞であって、『リラックスする』という遂行の動詞ではありません。
リラックスを担保する心的条件は『胆力』です。
『胆力』というのは端的に言えば、『時間意識』です。
『自分が死んだとき』まで想像力を延長して、そこから今の自分を回顧する『逆流する時間意識』をもつ人間はあまり驚いたり、不安になったりしません。
武道の場合は、そのつど『死ぬこと』を想定して、想像的に死んだ時点から動きを反省的に構築するわけです。
別に形稽古の最中に死ぬわけではなく、ほんとうにあと何十年かあとに死んだときの自分を想定して、そこから現在の自分が 『ここにいて、ある動きをしていること』の歴史的必然性を見いだしてゆく、という手順を踏みます。
つまり『ただしいときに、ただしい場所で、ただしいやり方』で生きている、ということについて確信が持てるならば、そのとき自分がしている動きは完全にリラックスしているベスト・パフォーマンスのはずなのです。
オレはこんなところでこんなことやってていいんだろうか?というような疑問を抱いている人間のパフォーマンスが高いということは論理的にありえません。
ですから、結論を言うと、あなたの解決すべき第一の問題は、いまテニスをしていることの必然性についてのどれほどの確信を持てるかどうかだと思います。
他の何を措いても、いま自分はこのプレイをするために生まれてきたというような確信をもつことができれば、とりあえずご自身にとってベストのプレイができるはずです。
『こんなところでテニスなんかしている場合じゃないんだけど・・・』というような気分のときにベストパフォーマンスができるはずありませんからね。
ご健闘を祈ります。」

えらそうなことを書いているが、これは受け売りである。
もちろん、ことがテニスである以上、私が準拠できる権威者は「あのかた」しかいない。
そう、宗方コーチである。
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