E 阪歯科で奥歯の治療。
「いまから注射しますからね、ちょっと痛いですけど、我慢してください」
と E 阪先生が言われる。
注射針が歯茎にずぶりと突き刺さるイメージがありありと浮かぶと痛みは有意に増加する。
注射とはいえ、実際には歯茎には鋭い圧感があるだけで、「先生が爪の先で圧している」と思えば、そう思えないこともない。
こちらは目を閉じているのであるから何をされているのかわからない。
せっかく「何をされているのかわからない」という「知らぬが仏」状態にあるわけであるのに、それをわざわざ痛切な現実に引き戻すこともない。
というので、
「先生、これから何するか、いちいち言わなくてもいいです」
と「ノン・インフォームド・コンセント」による施術をお願いする。
医療における治験には心理的なものが深く関与しており、医師の全能性に対する幻想的な信頼は治験におおきくプラス効果をもたらす。
口をあんぐりひらいて半睡半覚状態で「もう、好きにして・・・」と身を委ねているのが、いちばん痛みもなく、不安もない受診態度であると私は信じている。
奥歯に仮歯が入ったので、口腔に違和感がある。
「仮歯ですから、あまり左側ではたべものを噛まないようにね」
と注意される。
ようやく左の奥歯でがしがし食べ物をすりつぶす快感が甦ってきたところなのに、また当分「やわらかいもの」に逆戻りである。
合気道の稽古に行こうとすると、先週取材された『週間ダイヤモンド』の記者さんが自宅を訪れる。
東京からアポイントもなしに何しに来たのかしらと思ったら、記事中に誤植があったので、それをお詫びに来たのだそうである。
「誤植くらいのことで東京から詫びに来なくていいですよ」とお答えしたのであるが、記者さんは青ざめた顔をして、「いえ、とんでもない間違いを…」とうつむいている。
何かしらと思ったら、肩書きの大学名が間違っていた。
「神戸女子学院大学」となっている。
よくある間違いである。
神戸には神戸女学院大学と神戸女子大学と神戸学院大学という似た名前の大学が三つある。
私もよく「神戸女子大学のウチダ先生」と紹介される。
「ははは、そんなことくらいで。よくある間違いなんだから、気にしなくていいですよ」と鷹揚に笑って見せたのだが、表紙を見て納得。
だって、特集は「息子・娘を入れたい学校」なんだもの。
「うーむ、この先生はなかなかいいことを言っているなあ、ではぜひウチの娘を神戸女子学院大学に入れよう」
というようなことを思われた読者が(たぶん全国に3人くらいはいるのではないかと推察されるが)そのような大学が存在しないことを知ったときのショックを想像すると、私も少し心が痛むのである。
合宿明けの合気道のお稽古には 20 人くらいが来ている。
新年度の幹部たちも気合いが入っている。
毎年四月になると基本に戻す。
また足捌きと受け身から。
基本の「意味」は毎年繰り返す度に新しく発見される。
30 年やっている私でさえ、「あ、この動きには『こういう意味』があったのか」とか「多田先生がいわれたのは『このこと』だったのか」という気づきが毎年ある。
あっというまに2時間半の稽古が終わる。
来週はNHKラジオに生出演なので稽古を休まなくてはならない。
あちこちにでかけるのは楽しいのだが、稽古を休むのはつらい。
ところで、四月一日をもって「神戸女学院合気道会」は「多田塾甲南合気会」に名称変更をすることになった。
「神戸女学院合気道会」は神戸女学院大学合気道部の「上部組織」で、学生の他に、同窓生、中高の生徒、教職員を核とする「社会人団体」として設立されたものであるが、設立15年目を迎えて、神戸女学院とは直接関係のない地域の市民たちがどんどん増えてきて、「神戸女学院」という名称が実体とだんだん離れてきたのである。
「芦屋男子組」の中核を形成するドクター、社長、秘書、越後屋さん、大迫力君らにとっては「神戸女学院合気道会」というのはなんとなくなじまない呼称であろう。
これではみなさんもいつまで経っても「間借り人」気分が抜けない。
ということで、多田塾○○合気会という名称に改称することを心に決めていたのである。
○○には地名を入れる。
地名の候補として浮かんだのは、「芦屋」「神戸」「兵庫」「阪神」「摂津」「麓南」「六麓」「六甲」「甲陽」「甲南」「武庫」「精道」「芦神」などなど。
「芦屋」はかなぴょんの「芦屋道場」とバッティングする。「神戸」は中尾さんの「合気会神戸支部」があるし、「兵庫」も「兵庫県合気道連盟」があって間違いやすい。「摂津」「武庫」「芦神」などは関西以外の人にはなじみがないし、「麓」を含む名は画数が多すぎる。
あれこれ思案の末、最終候補に「阪神」「精道」「甲陽」「甲南」が残った。
「阪神」は悪くないのだが、この名をつけるとどこにいっても「ところで、阪神ファンですか?」という質問をされるんだろうなと想像して却下。
「精道村」は芦屋市の旧称であるし、字体も音も悪くないのだが、他武道に「精道館」とか「精道会」といった会名のところがたくさんあるので、混乱しそうで却下。
「甲南」と「甲陽」はいずれも「六甲山の南側」を意味する地名である。
「甲陽合気会」と「甲南合気会」、どっちがいいかなと五秒ほど考えたが、「ん」が入る方が気合いが入るという「白石理論」に従うことにする。
「甲南」だと同じ合気会系の「甲南大学合気道部」と混同される可能性はゼロではないが、こちらは地域の社会人団体であって所属カテゴリーが違うし、「多田塾甲南合気会」と必ず「多田塾」を冠して名乗ることにすれば、それほどの混乱はないだろう。
会の名称を決めたので、続いて会則を作る。
「道場運営稽古指導にかかわる一切の決定は師範が専管する」「役職の置廃・役職者の任免は師範がこれを決する」「規定の改廃・謝金の改定は師範がこれを決する」など、すべて「師範が決する」非民主的な組織運営である。
さらに「会則・道場心得に違背した者、多田塾の品位を汚した者は破門に処す」という恐ろしい一条もある。
私の敬愛する内田百鬼園先生は乞われて法政大学の航空研究会会長を引き受けられたときに「会長ノ権限ハ絶対ナリ」に始まる会則を制定せられた。
本会則はその百間先生の遺訓を伝えるものである。
本会には総会とか運営委員会とか評議委員会とか、そのような議決機関は存在しない。
すべては私の一存で決せられるのである。
会の組織原則はかくのごとくきわめて非民主的・専断的・父権制的なのであるが、独裁的権力者である私自身は「お弟子様フレンドリー」な人間であるので、ノープロブレムなのである。
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(2005-04-03 11:04)