終日、原稿書き。
『私家版・ユダヤ文化論』の「その5」を送信。
この『私家版・ユダヤ文化論』は私が今書いているテクストの中ではダントツに面白いものなのであるが、どなたからも感想や批判を頂くことがない。
どうしてかというと『文學界』に連載されているからである。
『文學界』を読んでいる人は私のまわりに誰もいない。
この間、ある出版社の人に『群像』とか『新潮『』とか『文學界』の発売実数って、どれくらいですか、と訊いてみた。
実数は3000くらいじゃないですか、ということであった。
同じ数字を前にもどこかで聴いたから、きっと真実なのであろう。
読んでいるのは「編集者と作家と批評家と、将来編集者か作家か批評家になりたがっている人たち」だそうである。
それで3000人というのは、多いのか少ないのか。
よくわからない。
(という記事をアップしたあとに『文學界』の編集長の大川さんから部数についての正確なデータを教えて頂いた。「部数はここ数ヶ月は12000部。実売は最低で約5500部、最高に売れたのが10500部。普通で、6500部から7000部」ということだそうである。不正確な情報をお伝えして『文學界』ならびに純文学各誌の名誉を損なったことをここに伏してお詫びしたい)。
『私家版・ユダヤ文化論』は完結したら文春で新書にしてもらう予定である。
どこでいつ完結してもいいような、だらだらした思想史講談なのであるが、書きたいことがいろいろあるので、なかなか終わらない。
「書きたいこと」というより「もう書いてしまったこと」なんだけど。
講義ノートとして書いたものを筐底に蔵するにしのびないので、月刊誌連載をして原稿料を頂いているのである。
あまりほめられた態度とは言えない。
どちらかというと、「世間をなめた」態度と申し上げなければならない。
続いて、23日の神田外語大異文化コミュニケーション研究所で講演するネタを考える。
ジェンダー論を、というご要望であったかに記憶しているのであるが、ジェンダー論をやると必ず誰かの「虎の尾」を踏んでひどい目に遭う。
「だったら、止めるか」というと、私は「誰かの虎の尾を踏む」ことの誘惑にどうしても勝てないタイプの人間なのである。
さいわい、今回は『希望格差社会』と『オレ様化する子どもたち』と『オニババ化する女たち』といういずれ劣らぬ大ネタがあるので、これを存分に引用させていただいて、刻下のジェンダー状況について暴論奇論を述べ、オーディエンスが怒り出す前に逃走する、という展開に持ち込む予定である。
22日は京大で大学教育研究フォーラムというのがあるので、京都まで行かなくてはならない。
また大学評価の話である。
もう同じような話を何回聴いたかわからないけれど、とりあえずシンポジウムで情報を仕入れて、報告書を書くようにと学長から業務命令が下された。
本学では、学長の業務命令に「はい」と素直にご返事をする教職員があまり多くない。
というか、かなり少ない、と申し上げてよろしいかと思う。
多くの同輩がたが「ええ、やだなあ、誰か、他の人にやらせてくださいよ。私、忙しいんです」といって業務命令の受領を受け流す風景は本学の「風物詩」のひとつである。
私はもとが体育会系サラリーマンなので、業務組織の指揮系統は上意下達ということが身体化している。
学長に「…してください」と言われれば四の五のいわずににっこりほほえんで「はい」とご返事する。
当然ながら、その結果、業務命令はしだいに「業務命令を聞く人」のところに集中するようになるのである。
このようにして学内における「デューティ・ディヴァイド」(業務負担の二極化)が進行する。
私としては、「デューティ・ディヴァイド」が「ウェイジ・ディヴァイド」(賃金の二極化)に結実するのであれば、業務命令受諾への動機づけも高まるのでは、と考えるのであるが、どなたからもそういうご提案はない。
一日つぶして雨の中京都まで行って、日当2000円。
時給300円くらいの業務である。
ご同輩たちが業務命令をにこやかに受諾したがらない理由もわからないではない。
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(2005-03-22 10:41)