打ち上げる日々

2005-03-18 vendredi

17日は謝恩会。
リッツカールトンに和服を着てでかける。
学生諸君の多くは振り袖をきて、帯で締め上げてたいへん苦しい身体的条件に耐えておられるのであるから、教師である私もその苦しみをわかちあうことを卒業生への「むまのはなむけ」としようという心優しい配慮である。
能州紡の着物に、「いかりや呉服線」謹製の袴を穿き、「高利貸しコート」を羽織って、じゃらじゃらと雨の中をでかける。
ゼミ生諸君はそれぞれにゴージャスな衣装で登場。
天下御免のコスプレ大会みたいなものである。
謝恩会のあと、ハービスエントのバーで二次会。
「あげさんすい」の橘さんにアレンジして頂いた。
「あのー、隣のリッツカールトンで謝恩会なんで、二次会の手配お願いしますね、ひとり3000円でね」というような傍若無人のお願いをあの多忙な橘さんに丸投げするというのは許し難い暴挙なのであるが、ま、この子たちもいずれは橘さんのお店の常連になるかもしれないということで、ご海容を願うのである。
今年のゼミ生たちはとても仲良しであった。
卒論の提出のあとにも、まだ「ゼミがやりたい」というので、「おまけのゼミ」までやった。
「また、みんなで集まろうね」とちょっとしんみりしながら大阪駅頭でお別れする。「次は、じゃ、先生の家でね」って、勝手に決めている。
「だって、先生の家なら、お金かからないし。何時間でもいられるし」
そうだろうけど、私だって忙しいんだしさ、日程の調整とかさ。
「あ、先生のいないときでもいいんです。部屋だけ貸して」

18日は朝から会議が四つ。
入試判定教授会+臨時教授会、個人情報保護法の説明会、自己評価委員会、e-learning 研究会。
前の二つは居眠りしながらのアテンドが許されるが、自己評価委員会は今次委員会の最後のセッションであり、私は議長なので眠ることが許されない。
二年越しの教員評価システムの評価表の最終案がようやく委員会決議され、これを学長に答申すれば、私ども自己評価委員は重責から解放される(しかし、その答申案を「受け取って」その当否について審議することになる学部長会、学務委員会の私はメンバーなので、結局どこまでいっても「ウチダくんはいったい何を考えてこのようなものを起案したのかね、400字以内で述べよ」というようなご下問から逃れることはできないのである)。
最終報告書の要点説明を拝聴し、めんどうな仕事を山のように次期委員長である遠藤先生に丸投げして、とりあえず四年間にわたる自己評価委員長の仕事を終える。
やれやれ。
e-learning報告会は「女学院でいちばんイジワルなS井先生」(二番目は私)の主宰する研究班の報告会である。
私はそこでパワーポイントを駆使した諸先生方の「Black board を活用した授業実践例」のご報告を拝聴したあとに、ITリテラシーにおいてチャレンジドなパンピーを代表して、パワーポイントなしで(「サルにもわかるパワーポイント」をどこかにしまい込んでしまってから、ご縁がないのだ)「卒業後のe-learning」というカッキ的主題について報告させていただく(ネタを思いついたのは発表のために登壇する3分前)。
私見によれば、学校教育の成果というのは、事後的に確認されるしかないものである。
つまり、卒業して何年もしてから、「あ、あのとき私が学んだのは、『こういうこと』だったのか」とはたと膝を打つその瞬間に遡及的に学校教育の意味は構成的に立ち上がるのであって、あらかじめ実定的に教育過程のどこかに実在するわけではない。
だから、「あ、あのときの、あれは…」という「思い出し笑い」的な教育情報の解釈をどのようにして卒業生が反復できるかということこそが、教育効果の査定においては決定的に重要なのである。
教育的資源の富裕化プロセスは、教育が終わったまさにそのときに、卒業生が「私が教わった『あれ』は、いったい何を意味するのだろう?」と自分に向かって問うときから始まるのである。
その問いの反復頻度が高ければ、教育効果は卒業生が生きている限り増大し続ける。逆に、卒業と同時に、教育内容についての問い返しの意欲が失われた場合、在学時に受け取った教育資源はそのまま立ち腐れすることになる。
私は四年間の在学期間にはたいしたことを教えてはいないが、卒業後に「いったい、ウチダはあのとき何を言いたかったのであろう?」という「わりきれなさ」を学生諸君にトラウマとして残すことに関しては人後に落ちない自信がある。
そのような「謎」を彼女たちの頭上に点灯しておくことが真の教育ではないか、私はかように考えるのである(って、今思いついたんだけど)。
で、何をやっているのか、というと「NAGAYA」というものをHP上に開設して、そこで「店子」となった卒業生たちに「謎解き」機会をゆたかにご提供しているわけである。
というような報告をさせて頂く。
発表後、S井先生とM杉先生とともに武庫之荘の Gloria に行って打ち上げ。
さまざまな話題で盛り上がったのであるが、途中でウチダのたいへんリファインされたジョークにM杉先生が口腔中のワインを噴き出して、テーブルの料理の上にまき散らしてしまった。
会食中に私の気の利いたジョークが会席者の笑いを誘うことは珍しいことではないが、「噴き出した」ワインを浴びたのははじめてのことなので、末永く記憶にとどめるべくここに記しておくのである。
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