卒業式の風景

2005-03-16 mercredi

卒業式。
大学の卒業式に出席するのも、91年3月から数えて14回目となった。
最初に送り出した卒業生たちはもう36歳になられたのである。
いずれ卒業生のお嬢さんを新入生に迎えて、母娘二代の「恩師」というものになる日が私をおとのう日も間近である。
はじめて女学院に来たころ、「私は母娘二代教えましたよ」という先輩の先生方がいて、「おいおい、まるで化石じゃねーか」と内心思ったのであるが、老生も遠からずその「化石」に仲間入りすることになるのである。
歳月人を待たず。紅顔の美少年もまたたくうちに髪に霜を置く翁となるのである。
というわけで、桜の舞い散る入学式もよろしいが、梅の時分の卒業式というのは、またひとしお風情がある。
午前中は合気道部唯一の卒業生フジタくんを部員一同で送り、午後はゼミ生13名と別れを惜しむ。
フジタくんは合気道で私に師事し、ゼミでは蜂の研究を遠藤先生に就いて学んだ。
あまたある教師のうちから過たずウチダと遠藤先生を選択したということからフジタくんの「ワイルド系」好みがおのずと知れるのである。
本学の卒業式では卒業生ひとりひとりに学長が学位記を手渡すので、全員が壇上に上がってくる。
どの卒業生もまっすぐに前をみつめて学長の前に粛々と歩み出るのであるが、私のゼミ生たちは壇上でかしこまって座っている私をめざとくみつけて「へへへ」と挨拶を送ってくる。
そんなことをするのは、キミたちだけだぞ。
式後、中庭で恒例の茶話会。
宝塚ホテルのケータリングの軽食を頂きつつ、卒業生たちと記念撮影。

ゼミの卒業生たちと
ウッキーと

ゼミ生をからかっていたら、突然フランス語で話しかけられる。
フランスの海外語学研修に同行した学生のホスト・ペアレンツなるご夫妻がおいでになって、「あの人がフランス語の先生だよ」ということでご挨拶に来られたらしい。
私は日本にいる限り、初級文法のクラス以外では決して人前ではフランス語を口にしないことを党是としているので、たいへんに困惑する。
「いやあ、遠いところからご苦労様で。あれですな、さいわい寒くなくて、ま、何はともあれ、めでたいことで…」というようなことをもそもそ言えばよろしいのであるが、私はそういう「とりあえず間を持たせる社交的会話」がたいへん苦手である。
ロジカルかつクリアカットな命題を語らせていただける場合に限り私のフランス語会話能力はその本来の面目を発揮するのである。
困ったなあと立ちつくして話の接ぎ穂を考えていたら、たしかこのホストファミリーはベルギーの人だったと聞いた記憶があったので、とりあえず「ベルギーからいらしたんですか?」と訊いたら、憤然と「ルクセンブルクです!」と言われてしまった。
おお、それは失礼をば。
「ルクセンブルクの方もフランス語を話されるんですね」とよけいなことを言ったら、「ルクセンブルクはルクセンブルク語です!」とさらに憤然とされる。
あわてて「ルクセンブルク語って、フランス語の方言ですか」とさらによけいないことを口走ったら、「ルクセンブルク語はフランス語の方言ではありません!」とさらにいっそう憤然とされる。
「じゃ、ドイツ語とフランス語のあいだみたいなのですか?」とさらに言わなければいいような質問をしてしまったので(人間、追いつめられるとつい訊かなくてもいいことを訊いてしまうものである)、かのルクセンブルク夫妻はルクセンブルク語がどのような言語であるかを滔々と語り始めた。
こういう場合には気まずい沈黙が重苦しく場を支配するよりは一方が滔々と語り始めるような話題を振るというのが社交的には洗練された展開なのである。
その意味では私はたいへんに社交的にふるまったことになる。
ルクセンブルクのみなさんの対日感情にどのような影響を与えたのかは知るべくもないが、周囲にいたフランス語を解さない学生諸君の目には、わずか数語をもって外国からの賓客に熱弁をふるうような話題を探り当てた私の社交的会話能力は尊敬に値するものとして映ったであろう。
やれやれ。
うろうろしていると、同窓会会長の富川さんに声をかけられる。
本学の同窓会会長というのは、理事会の重鎮であり、二万数千人の会員数を誇る巨大集団の頂点に立つ「雲上人」であり、ウチダごとき三文教師がうかつに口をきける方ではないのであるが、なんと富川会長のご夫君はウチダ本の愛読者であり、「主人が、先生の本はほんとに面白いって、読みふけっておりますのよ」とのおことばを賜った。
思わぬところに読者がいるものである。
富川さんにお隣にいた次期同窓会長にご紹介頂く。
次期同窓会長は転法輪さんとおっしゃる方である。
「テンポウリン」といえば「ウララ」ちゃんというハイパーアクティヴな少女が私のゼミにいたはずだが…
「はい、そのウララの母でございます。」
思わぬところにゼミ生の母がいるものである。
さっそく学内理事増員問題というのがありまして、という生臭い話に持ち込む。
教務部長を理事会メンバーに、という教授会からの要請があったことはご存じでしょうかとお訊ねする。
はい、このあいだの理事会でお話うかがいました。
あの、その教務部長って、ぼくなんですけど。
そうなんですってね。
ぼくが入るとやたらにぎやかになって、理事会が楽しくなりますよと売り込みにかかろうとしたが、ま、そういうお話は、また、ふふふとかわされてしまった。
だいぶウチダより役者が上である。
家に戻ってメールを開くと、いろいろなところから講演や講義の依頼が来ている。
全部「ごめんね」と断りのご返事を入れる。
あの野郎ちょっと売れたからといってお高く止まりやがって…というような印象を持たれた方もおられるかもしれないが、ほんとうに死ぬほど忙しくて、これ以上仕事を入れる余裕がないのである。
昨日はN大学の認知心理学の院生さんからインタビューの申し入れがあった。
うーん、どうしようかなと考えていたら、メールの最後に「高雄啓三くんの中学時代からの友人です」と書いてある。
高雄くんといえば「ボストンのお茶会」(たまには更新しろよな)のMITの高雄くんである。
さっそく快諾のご返事をする。
高雄くんも知らぬところで陰徳を積んでいたのである。
NTT出版のM島くんから電話があって、『街場のアメリカ論』の校正進んでますかと問い合わせてくる。
まだ見てねーよとつれない返事をする。
M島くんはめげずに10月刊行をめざしていますので、7月末までに何とかなりませんかと懇願してくる。
何とかなるようなら、あたしだって苦労はしませんよ、と引き続きつれない返事をする。
ところでわたくしごとですけど、私先週入籍しました、とM島くんが報告してくれる。
『街場の現代思想』の「結婚は不快な他者と共生する能力を育てる好個の機会である」という一節を読んで、それまで逡巡していた結婚を決意しました。
あ、そうなの。
自分のことを理解し共感してくれる人間にだけ囲まれて生きてゆきたいと願うのは「サル」だということばを読んで、「人間になりたい」と思ったんです。
そ、それはよかったね。
ていうことは、M島くんの新妻は「M島くんの理解も共感も絶した不快な隣人である」ということが日々しみじみ実感されているということなのかな…
M島くんの健闘を静かに祈りたい。
主のみめぐみがM島夫妻の上にゆたかにありますように。
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