江戸の政治技術

2005-02-26 samedi

JD 館の玄関で転んで、腰をしたたかに打つ。
引っ越し作業をしていて、床に「養生」用のプラスチックが張り巡らしてあったのだが、私が乗ったときに、畳一畳分ほどのプラスチック板を止めているガムテープが剥がれて、そのまま1メートルほど滑ってしまった。
つるつるの床で靴が滑るというなら「あわわ」と叫びつつなんとか持ちこたえられるけれど、靴ではなくて床が滑ったので身体が真横に浮いてしまった。
右手が鞄でふさがっていたので、左手一本で身体を支えたけれど、持ちこたえきれずに腰を打ってしまった。
ううう、いてて。
建物に傷を付けないための配慮なんだろうけれど、それで人間が怪我をするのでは何のためのものだかわからない。
とはいえ、かりそめにも武道家、滑って転んで人に文句を言える筋合いではない。
プラスチック板をとめているガムテープが剥がれかかっているのすばやくを発見できなかった私の不注意こそ責められねばならない。
脚下照顧。
足下を見よ。
武道家の第一の心得は何ですかという問いに、多田先生は私にかつてそう教えてくださった。
先生、ウチダはまだ修業が足りません。

大学院博士後期課程の入試の口頭試問がある。
タウンゼント・ハリスの江戸出府(安政4年)のときの幕府の外交プロトコルについての研究で修士論文を書いた方である。
実に稠密で実証的な研究で、たいへん面白かった。
私もはじめて知った話ばかりである。
こんな話。

アメリカ合衆国大統領の親書をもって将軍に謁見を望んだハリスは「欧米の外交プロトコルはこうなっている」と正面からごり押しに押した。
それに対して、「祖法」に基づく外国人謁見プロトコルを護持しようとする幕府は原理原則では争わない。
「じゃ、馬じゃなくて、駕籠で江戸まで来てもいいです」とか「じゃ、中之橋まで下車しなくてもいいです」とか「じゃ、立ったままでもいいです」とか「じゃ、ご飯食べずに帰ってもいいです」とかいうようにだらだらとアドホックに妥協を重ねる。
その結果、ハリスは「欧米的プロトコルを幕府に呑ませた」と思い、幕府は「祖法に基づくプロトコルを護持した」と思うという「同床異夢」的結論にたどりつく。
この「じゃ、…でもいいです」という「原則は曲げないけれど、この際だから一回だけ目をつむりましょう。これはあなただけのために特別に配慮しての例外措置なんですから、他の人に言っちゃだめですよ」という不思議な対応が、実は150年前から日本外交の基本方針だったということがわかって、私は「へえー」と感心したのである。
そもそも出府前から、幕閣内でも、「洋夷の謁見などまかりならん」という強硬派と「ま、そうもいってられんわな、ご時世だし」という穏健派の意見がなかなかまとまらず、ハリスは下田でいらいらしっぱなしだった。
本質的な問題は「欧米的政治原理」と「祖法によるところの統治原理」の対立にあるわけだが、幕閣たちは、それをローカルな「守旧派」と「改革派」の対立という熟知したスキームに矮小化したのである。
そして、いざハリスが登城ということになると、「朝鮮通信使」「琉球通商使」「阿蘭陀甲比丹」たちが将軍に謁見した場合の「将軍と外交官の目の高さの差」や「御簾との距離」といったトリビアルな差異にここでもまた問題を矮小化してしまう。
結果的にハリスは朝鮮通信使よりも下座、琉球通商使よりも上座という立ち位置を畳の上に指定され、立って挨拶をするハリスに対して、将軍は座布団を7枚重ねた椅子に座って、あくまで「見下ろす視線」を確保したのである。
システムそのものの見直しを求めてくる本質的な「外圧」をローカルな党派的問題や数量的な「つじつまあわせ」の問題に還元して「骨抜き」にするこの政治技術は、おそらく江戸300年において洗練の極致に達した。
その政治技術の伝統は今に脈々と伝えられていると私には思われる。
前に書いたように、憲法九条と日米安保は「ゼロサム」の関係になっている。
非武装中立の方に進もうとすると日米安保がそれを妨げ、日米安保を軍事同盟化しようとすると九条がストップをかける。
どちらにも身動きできず、動けたとしても、それは「今回一回だけの緊急避難的措置ですから、ね、ね?」という言い訳がついてまわる。
そういうのがいやだからすっきり戦争ができるようにしようというので憲法九条を変えようというのが改憲運動なのだが、その改憲運動そのものもまた「親米」派と「反米」派のローカルな対立を含んでいる。
だからアメリカの世界戦略が成功裡に展開しているあいだは「アメリカ追随」ムードになって「ま、アメリカさんに任せておきましょうよ」ということで「自主憲法制定」の機運が衰え、アメリカの世界戦略が行き詰まると「だからアメリカはダメなんだ」ムードになって、「これからはシーレーンの防衛や朝鮮半島の軍事的コントロールはアメリカなんかに任せず、ワシラがやらないかんねん」という嫌米派がのさばってくる。
結果的に、アメリカの世界戦略が成功しても失敗しても、改憲勢力の半数は活性化し、残る半数は不活性化するという仕掛けになっているのである。
だから、アメリカの世界戦略とリンクしているかぎり、憲法論議は一歩も動かないように構造化されている。
これって、ハリスのときの江戸幕府と「現状維持」の力学法則についてはぜんぜん変っていない。
私は正直言って、ちょっと感動してしまった。
日本人て、けっこう賢いのかも。
億兆心を一にして撃ちてし止まん鬼畜米英という路線がむしろ日本政治においては例外的なありようであって、「小田原評定」的柔構造による、外圧の「分散」ストラテジーこそが日本のリスク・コントロールの祖法だったのではないか。
言われてみると、私自身の中に骨肉化している政治的エートスって、まさしく「ま、おっしゃることはまことに正論なんですけどね、あちらにはあちらのお立場というものがあるわけで…で、どうです、この際、ナカとって」というきわだって無原則なものである。
そのような無原則的カオスを一人の人間の中につくりだすことによって、非妥協的対立のスキームそのものを「わや」にする政治技術を私は半世紀かけて習得してきたわけなのだが、この深く日本人のメンタリティに根づいた政治技術について、精密かつ好意的に研究した政治学者のあることを私は知らない。
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