史上最弱のブロガー

2005-02-09 mercredi

どうやら今日が私にとっての「春休み初日」のようである。
とりあえず学校には行かなくてよろしい。
締め切り間近の原稿もとりあえずはないのでお気楽である。
とはいえ、昨日一昨日はずいぶんばたばたと仕事の依頼が入ってきた。
『ユリイカ』から「ブログ作法」という特集の原稿を頼まれた。
正直申し上げるが、私は「ブログ」というのが何のことなのかよく分からない。
たしか以前は「ホームページ」という呼称がドミナントであったような気がするのであるが、最近は同一のものを指して「ブログ」というらしい。
どこがどう違うの?と以前IT秘書に訊いたことがあるのだが、「先生は、そんなこと知らなくてもいいんですよ」と静かにスルーされてしまった。
あ、そう。
書いたものをインターネットに載せる操作も以前は「アップロード」と言ったように記憶しているが、最近は同種の動作を「エントリー」と呼んでいるようである。
「リンクを張る」というのも、ちょっと様子が変ってきて、「トラバる」とか「トラバを打つ」という言い回しをされるようである(ところで、こういうときの「張る」とか「打つ」とか動詞部分については、誰がどのように決定されているのであろうか? おそらくは「リンクを流す」とか「トラバを決める」というような類縁動詞も候補として検討されたはずであるが、その銓衡過程について私どもには情報開示される様子がない)。
とにかく、私が知らないうちに、「ホームページ」という表現が後退して、「ブログ」(これは「ブ」にアクセントを置かず、「付録」と同じように平板に発音するのが正しいようである)ということばが跳梁跋扈するようになった。
仄聞するところでは、「はてなダイヤリー」という「巨大ホームページ団地」のようなものが存在し、そこが供給している団地の3LDKのような規格サイズの日記がたいへん操作性がよろしいので、日本中の人々が争って日記を書き出した…というのがことの真相らしい。
というのが私の理解なのであるが、たぶん間違っているだろうから拝して諸氏のご叱正を待つのである。
その「ブログ」の定義も知らない人間に「ブログ論を書いてください」と平気でオッファーしてくる『ユリイカ』編集部の識見にも瑕疵なしとしないが、「うん、いいよ」と受けてしまう方の識見にはそれ以上の問題があると言わねばならない。
もちろん、仕事帰りのIT秘書を召喚して、「ひとくちブログ講座」のようなものを拝聴してから、訳知り顔のことを書いてもよろしいのであるが、それでは曲がない。
やはりここは「何も知らない人間がブログ論を語る」という「すかし技」を笑いネタにして客寄せに使おうという『ユリイカ』編集部の戦略にまんまとはまってみせて、「やだなあ、もう。恥かかせないでくださいよお」と昭和30年代の日活青春映画における浜田光夫や高橋英樹のように、頬を赤らめてアタマを掻いてみせるのが真の大人の態度というものであろう。
というわけで、さっそく「史上最弱のブロガー」とタイトル(@青木るえか)だけ決めて、ばんばん書き出す。
これはたいへん使い勝手のよい技法であるので、この際開示して差し上げることにするが、「自分がよく知らないテーマ」についてレポートやコメントを書く場合には、泥縄で調べ物をして書いてもたいしたものは書けない。むしろ、この「よく知らない」という原事実から出発して、「なぜ、私はこの論題についてかくも無知であるのか?」という問いをわが身に差し向けることが思いの外に生産的なのである。
私はこう問いを立てた。
なぜ私は自身で新しいコンピュータ・リテラシーを獲得することにこれほど不熱心であるのか?
にもかかわらず、なぜ私は「IT関係作業の丸投げ路線」を驀進することによて「人文系学者でおそらく日本最高」といわれるIT環境を享受できているのか?
おのれの「無知・無能」のよってきたるところを追尋する問いを二つ立てることによって、私はただちに結論を得たのである。
それは「インターネット・コミュニケーションもまた『人間はひとりでは何もできない』ということを私たちに思い知らしめるための人類学的装置であるという点で、先行するすべてのコミュニケーションと同質である」というものである。
締めのお言葉はいつものようにレヴィナス老師にお願いする。
議論の詳細は『ユリイカ』の四月号を徴されよ。

筑摩書房からはレオン・ポリアコフの『反ユダヤ主義の歴史』の書評(というかパブリシティ用原稿)を頼まれる。
レオン・ポリアコフのこの浩瀚な歴史研究は「反ユダヤ主義研究者」のマストアイテムなのであるが、残念なことに「反ユダヤ主義研究者」というもの自体、その実数が少ないのでセールス的には楽観を許さない出版事業なのである。
ともあれ私としてはこれが日本語で読めるようになるのはたいへんありがたいことである。
訳者は菅野賢治・合田正人のお二人。菅野さんにはついこのあいだ都立大の講演のときにお世話になったばかりなので、こういう場面でご恩返しをしておかないと渡世の仁義が通らない。
『讀賣新聞』に今日から「仕事/私事」というタイトルのエッセイが四週掲載されている(はずである)。
一回800字なので、書くのは楽ちんである。
一回目をさっさと書いて寝かしておいたら、締め切りを忘れてしまい、締め切り当日の夜半に担当のO崎さんから「まだ届いてませんが、まさか忘れてませんよね」とせっぱ詰まったファックスが届いた。
こりゃすみませんすぐ送信しますね…とパソコンを起動して「注文原稿」というファイルを開いたら…
ない。
げげ。どこにしまい込んでしまったのか。
すでにワインなど飲み始めて定例の痴呆化が始まった時刻であったので、いまから800字書くなどということは思いもよらない。
青くなってあちこちのファイルを開く。
しばらく虚しい検索作業をしたのち、「みつからないものは、たいてい最初に探してみつからなかったところにある」の法則を思い出して、「注文原稿」のファイルをもう一度開いてみたら、隅っこの方に「2005年度」というファイルがあって、それを開いたら「讀賣新聞原稿」というのがあった。
どうやら原稿をはやばやと書き上げてすっかり上機嫌となり、「そうだ、この機会に『注文原稿』などというアバウトなファイル名のところに数百編の原稿をランダムに放り込んでおくのはやめて、ちゃんと年代別に整理しよう」と思い立ったのはよいのだが、「2005年度」というファイルを作って讀賣の原稿を保存したところで作業そのものに飽きてしまって、どこかへ遊びに行ってしまったものと思われる。
まことに目を離すことのできぬ人物である。
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