舌先三寸男の悲哀

2005-02-10 jeudi

昨日、E阪歯科で左の大臼歯に差し歯を入れた。
これまで空虚だった奥歯ができたので、ご飯がこれからは美味しく食べられるだろうと思ったのであるが、まだ傷口がふさがってないらしく、歯茎が痛くて食べ物を噛めない。
右の奥の臼歯はもともとないので、「食物をすりつぶす」機能が口腔内に存在しないことになった。
前歯で噛み切ることだけはできるのだが、あとはすることがない。
しかたなく口の中でぼんやりと食物が遊弋している。
奥歯でがしがしとものを噛み砕くのがどれほどの快感であるかをしみじみと思い知る。
これまでない歯が突然出現したので、舌も見当識が狂ったらしく、横に擦過傷ができてしまい、それが痛くて口の開け閉めが面倒だ。
ご飯が美味しくないくらいは我慢ができるが、舌がうまく動かないというのは切実である。
なにしろ「舌先三寸」で渡世しているしがない身の上である。
「舌先三寸」というのは思考より舌の回転の方が早いのだけが手柄であるので、舌がもごもごした日には目も当てられない。
週末は講演が一つ、インタビューが一つ、対談が一つ入っている。
それまでに舌が回復しないと困ったことになる。
とはいえ、私はもともと身体局部が不全になっても、システムの別の場所が活性化して機能を代補するという「恐怖のヒドラ体質」なので、その場合はその場合で、何か思いがけない潜在能力が開花する可能性もある。
舌がうまく回らない場合は、非常にゆっくりしゃべることで、これまでその「速度」では使用されていなかった脳の部位が活動し始め、「ウチダがそんなまともなことを言うなんて…」というような発言がなされるのではないかと予想されるのであるが、こればかりはなってみないとわからない。
とりあえず、抗生物質と鎮痛剤を服用して、口腔機能の復旧を待つのである。
ある総合誌から「首都大問題」について寄稿の依頼がある。
私は先般ブログに「首都大問題」について私見を述べたが、それは「15年前に都立大の助手だった」ということと「都立大仏文主催の講演会にお呼びいただいた」ということによる「もののはずみ」であって、この問題について私が余人にはアクセスできない種類の専門的知見を有しているからではない。
都立大の当事者の教員たちの中にはこの件については「ぜひとも言っておきたいこと」がある方があまたおられるであろうから、首都大問題については当事者からのご説明とご意見をまず聞くのが筋であろうとお答えする。
もちろん私も大学人として、首都大問題が高等教育の再編の大きなうねりの中のきわだった徴候であることはよく承知しているし、それに対しての私なりの意見を持っている。でも、個別首都大問題に限って言えば、私の意見はあくまで「対岸の火事」について、火の粉の飛ばないところからものを言える人間のものであって、当事者の切実さには及びもつかない。
都立大の「末期」においてはかなり壮絶な「抵抗戦線の切り崩し」があったように仄聞している。
たしかにそうでなければ、石原都知事がいうとおり、左翼的・反権力的な発言で知られる教員を相当数かかえていた都立大があれほど簡単に、あのように貧しい教育構想の前に屈服するということは考えにくい。
そういうことに関して(ある程度まで)説明する権利と責任はあわせて都立大の教員たちのものだろう。
その経緯を開示する機会を全国的なメディアが都立大の教員たちに提供してくれるのであれば、それは一大学人としてたいへんありがたいことだと思う。
この問題については、私としてはできれば「情報を開示される」側にとどまっていたいと思っている。
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