ローレンツの雛鳥たち

2005-02-07 lundi

判定教授会と人事教授会と科別教授会の「教授会三暗刻」。
アタマに「コース会議」と「杖道稽古」があったのだが、残念ながらどちらも果たせず流局。
杖道の稽古に来たみなさん、ごめんね。
合否判定教授会は、私が着任したころは粛々とほとんど数学的精密さをもって進行していたのであるが、「歩留まり率」の経年変化が読み切れず、この数年は「…というのが原案なんですけど」と提案する入試部長の声も「どうだ、文句あるか」的迫力には乏しい。
それでも「歩留まり」を計算できる身分であるというだけでも、「ありがたい」と思わなければならない。志願者を全部受け容れてもまだ定員割れという大学も少なくない今日この頃なのであるから。
科別教授会ではウエノ先生の発議で1,2年生対象に開講している「基礎ゼミ・文献ゼミ」の教育効果の点検が行われる。
私どもの文学部総合文化学科では、全学年にゼミを開講して、在学中はどこかのゼミにつねに所属しているというかたちにしている。
低学年の場合、ゼミは「ホームルーム」のようなものである。
十人ちょっとのサイズのゼミで教師と毎週顔をあわせていると大学に対するインティマシーは有意に高まる。
そのせいか、私が1年前期のゼミで担当した学生たちが7人大挙して3年の専攻ゼミに入ってきた。
コンラート・ローレンツの「刷り込み」じゃないけど、大学に入って最初に見た「先生」を「母鳥」だと思い込んでしまったのかもしれない。
あるいは私を「与し易し」と見ての政治的ご判断なのかもしれない。
いずれにせよ、うちのような小さなカレッジの場合は、教師と学生が在学中も卒業後も親しく行き来するということによって教育活動の「補完」ができる。
卒業した後の学生をつかまえて、「あのとき私がキミたちに言いたかったのはねえ…」というような言い訳の機会が保証されているのは、教師にしてみるとたいへんありがたい。
学生時代の経験の意味というのは単体でそこに不可避的に貼り付いているものではなく、「あれはいったいどういうことだったのだろう?」という事後的な回想の中で絶えず書き換えられるものだからである。
後から「あれはね…」という解説をさせていただく機会があると、卒業生諸君に「なるほど、ウチダはそのような深慮遠謀を以て教育活動に従事していたのか、別に口からデマカセをしゃべっていたわけではなかったのだ…」というふうに過去の改竄をしていただくことも可能なのである。
過去は新たな時間の中で絶えず再解釈され、新たな意味を獲得してゆく。
極端な話、大学在学中も卒業後もずっと「ろくでもない大学だった」と恨まれていても、ご本人が臨終の床でふと「考えてみると、あの大学にいたおかげで私の人生はそれなりに豊かだったのかもしれない…」というような回想がなされた瞬間に、過去はその意味を刷新される。
つねづね申し上げているように、教育のアウトカムが「計量不能」であるというのはそういうことである。
うちの大学を出ればTOEICの点数が何点上がりますとか、これこれの資格が取れますというような計量可能なアチーブメントが提供された場合、自分が受けた教育の意味を生涯かけて吟味し続けるというようなことはあまり起こらない。
しかし、教育の本旨というのは、自分が受けた教育の意味を問い続けるというかたちで知性を開放状態にしておくという遂行性のうちに存するのではないか。
そのためには、「何を習ったんだかよくわからない」という感想を学生諸君が抱くのは決して悪いことではないと私は思っている。
そして、「何を言っているだかわからない」ことを教えるという点についてなら私はたいへんに自信がある。
おそらく1年生のゼミで生き別れた諸君が大挙して3年生のゼミに登場してきたのは、「だから、あのとき何が言いたかったんですか?」という問いがトラウマとなったせいであろう。
もちろん私はそんな問いに答えてさしあげる気はさらさらない(だって、何を言ったか覚えてないから)。
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