甲野善紀先生、名越康文先生を芦屋にお招きして、晶文社主催の「対談&鼎談」イベントが挙行された。
甲野先生、名越先生と
平野早矢香さんを囲んで(ドクターと私とウッキー)
はじめ「お囃子方」には守さんと飯田先生とウッキーの三人を予定していたのであるが、「お囃子方にまだ二三人空き席があります」とネットで告知したら、たちまち申し込みが殺到し、結果的になんだかものすごい人数が私の家の居間と和室にぎゅうぎゅう詰めになることになった。
武道関係はつくば大学の高橋佳三さん。スポーツ関係は卓球の平野早矢香さん(まだ19歳。こんなかわいい女の子が全日本二連覇したのである)とコーチの洲本高校の山田先生と豊田先生(仕事休んでこんなとこ来ちゃっていいんですか)。メディア関係はAERAの石川さん、毎日新聞の中野さん、角川書店の江澤さんと金子さん、途中から『ミーツ』の江さん。それにIT秘書のイワモトくん(彼も仕事を休んで来た)と主治医のドクター佐藤。夕方から参加の名越先生が秘書をおつれになったので、勧進元の晶文社の安藤さん足立さんを加えて瞬間最大人数は20人に達したのである。
それだけの人数がひしめくところで甲野先生がいきなり講習会をはじめてしまった。
「三畳一間あれば講習会はできます」とおっしゃった通り、甲野先生はいくら動いても足音がしない。二尺七寸の長剣をらくらくと抜き、杖をふりまわしても何にも当たらない。
でも、先生の動きを見ているうちに興奮して立ち上がって稽古をはじめちゃった人たちがいるからさあ大変。
階下の住人から「いったい何をやったらこんな音が出るんだ!」と怒鳴り込まれたらどうしようと生きた心地がしなかった。
講習会が一段落してから、いよいよ甲野先生とウチダの対談が始まる(これは名越先生を加えた鼎談とは別の本の企画なのである)。
しかし、「ちょっとこんな話してもいいのかなあ…これあとで編集でカットしてくださいね」という「言い訳」を一回許したのが運の尽き、もう絶対に活字にできないようなとんでもない話がじゃんじゃん出てきて(一番ヤバイ話をしたのは高橋さんだけど)、座は異様な盛り上がりを見せたのである。もちろん、そのような話は決して書物では読むことが出来ないのである。みなさんには気の毒だけど。
1時から6時まで講習会付き対談(といいながら守さんと高橋さんは私たちと同じくらいたくさんしゃべっていたので、四者会談かな)。
6時にいったん休憩をいれて、買い出しに出かけて、山田先生がご持参くださった山盛りの「ふぐ」を材料に「てっちり」と「寄せ鍋」を作成。
ビールで乾杯してから、これを全員でぱくぱく食べる。
そこに名越先生が登場されて、いよいよイベント後半の二年半ぶりの「邪悪なものの鎮め方」パート2。
オウム真理教の霊的格付け、S価学会の集団折伏の霊的パワー、911後の元宇佐神社における霊的戦争というような定番的なお題から始まって、名越先生から少年Aの治療経過やクリニックにおける壮絶な症例研究の話をきいているうちにあっというまに11時を過ぎる。
まことに中身の濃い話でありました。
しかし、さすがに甲野、名越という二大畸人をはじめ「めちゃ濃い」人々を十時間近く狭い空間にとどめおいて、全員が心的エネルギーを発したために、ラポルテ東館南棟にはあきらかに「気の偏倚」が生じてしまった。
これについてはすでに三宅先生から、「1月24日にはJR芦屋駅付近には近づかないように」という霊的警告が関係各方面に発されていたのであるが、うかつにもその警告を私はそれほど重くは受け止めていなかった。
甲野先生、名越先生が帰られたあとの12時過ぎから「残存霊気」の作用によって残ったメンバーの情緒が急激に不安定になる。
あの優しいドクターがまずすごくイジワルになり、いつもにこやかな江さんが怒りだし、中野さんが泣き出し、ウッキーは叫びだし、私までも飯田先生が「言っていないことば」を幻聴で聞いて烈火のごとく怒って飯田先生を泣かせ…最後まで冷静を保っていたのは足立さんだけであった。
あれだけ濃いメンバーをこのような気密性の高い空間に長時間閉じこめておくことの危険をもう少しはやく気がつけばよかった。
私の個人的な印象では、この日いちばん気の付置をはげしく動かしたのは名越先生のようである。
私はわりと「アース力」の強い人間で、場に凝縮した霊的エネルギーを「放電」するのが特技なのである。
だが、今度ばかりは甲野先生名越先生のお二人という強烈な人が霊的出来事にかかわる話題を数時間したわけである。
それに賦活された座の人々の無意識的な「発電」が私の「放電」容量を超えたために残存したエネルギーがその場にとどまった人々の情緒の壊乱をつうじて「リリース」されるというかたちになったようである。
翌日ぼろぼろになって三軸で治療を受けていたら、三宅先生が「そのメンバーだとラポルテのコープの野菜がかなり傷んだでしょうね…」とぽつりとつぶやいた。
なぜか昨日の夜の宴会中と本日の治療中に池上六朗先生からお電話がかかっている。
昨日は『先生はえらい』の感想をお伝えいただいたのであるが、池上先生のようなお忙しい方が特段の用事もないのに私にピンポイントで電話をくれるというのは、この場の「霊的異常」を感知されて、私に「リンク」を張ってくれようとしたものと思われる。
「こういう話」は分かる人には分かるし、分からない人には分からない。
分からないからといって別に不自由なことがあるわけではないので、「霊だの何だのと非科学的なことを大学の教師が言うな」と怒るひとを説得しようという気は私にはぜんぜんない。
でも、甲野先生が武術の経験から得た知見と、名越先生が精神病の臨床経験から得た知見と、私が哲学者から学んだ書物的知識が「こういう話」においてぴたりと符合するという事実を私は看過しようとは思わない。
『他者と死者』や『死と身体』は学術書として面白く読めるが、「こういう」うさんくさい話には耳を貸す気にならないという人たちがたくさんいるが、私はどこでも「同じ話」をしているのである。
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(2005-01-25 21:42)