最近の卒業生とだいぶ前の卒業生のこと

2005-01-23 dimanche

「ぷー」のさっちゃん、ロペのながもっちゃん、SEのウェスの卒業生三人組が遊びに来る。
別に喫緊の用事があるわけではなく、老師の草庵を訪れて無聊を慰めるとかそういう積極的な趣旨でもないらしく、「へへへ」と頭をかきながら遊びにきて「センセ、辛いもの食べられません」とか「繊維質は歯にはさまるからダメです」というようなことを告げて、ごはんをぱくぱく食べる。
どうやらさっちゃんが「愛・地球博」(どうでもいいけどこの駄洒落は凍るね)のコンパニオンとして一時的に「ぷー」状態を停止することの奉祝行事であったようである。
先生は本たくさん書いてるんですね。ジュンク堂に平積みしてありました。
と口々に報告はしてくれるが、誰も「読んでます」とは言わない。
向学心の薄い教え子たちである。
しかたがないので、そこに積んであった『先生はえらい』の見本刷りをネコマンガサイン入りで手渡し、「これを帰りの電車の中で熟読玩味し、老師の教えを各自拳々服膺するように」と厳命する。
そこにそのさらに数年前の卒業生のイノウエさんが紛れ込んできて(これは文字通り、「紛れ込んできた」としかいいようのない驚くべき出現の仕方であった)、話題は転々奇を究めたのであるが、落ち着くところはいつもの「恋愛話」。
若い女性のうちに「おじさん的セクシュアリティ」がいかに浸潤し、それが彼女たちのやわらかい個性をどのように損なっているかについて諄々と説き聞かせる。
「おじさん的セクシュアリティ」というのは、厳密には「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」、つまり世の「男性誌などが『男はこういうのが好きなんだよね』というイデオロギッシュな大気圧をかけまくっているところの定型的なセクシュアリティ幻想」を内面化することである。
私のHPにその種の固有名を記したくはないのであるが、「K姉妹」とか「Yキャブ」とか「D夫人」とか…そういうものが表象するところの「何か」がある。
何だかわからないけどさ。
その「何か」を「セクシュアルである」と判定する価値観があり、その価値観自体は男女双方に共有されている。
セクシュアリティの記号を送信する側と受信する側に「解読コード」が共有されていなければ、それは「セクシュアリティ」としては認知されないからね。
私はその解読コードのことを「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を名づけており、そのようなものが瀰漫することにあまりよい印象を持っていないのである。
おじさんオリエンテッドそれ自体が悪いと申し上げているのではない。
「瀰漫」が気に入らないと申し上げているのである。
セクシュアリティをある定型に回収しようとする(ほとんど暴力的なまでの)社会的圧力が気に入らないのである。
どうして性的嗜癖を定型的に集約することに、これほどメディアが熱中するかというと、もちろんそれはその方が資本主義の要請にかなっているからである。
「人の好みは十人十色」では資本主義は困るのである。
好みがばらけて離散的に安定してしまうと市場は停滞してしまうから。
「同じもの」に消費者の欲望が集中し、その欲望が絶頂まで亢進すると、ただちに次のものに欲望の焦点が移行し、それまでの欲望の対象が弊履の如く捨てられるというのが資本主義的な大量消費・大量廃棄プロセスにとってはベストの展開である。
性的嗜癖が一点集中的な仕方で連続的に推移することはファッションや化粧品やサービスのマーケットからすればたいへんありがたい状況である。
「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を歴史的に一望すれば、たしかにそこにはある種の「経年変化」というものが看取されるであろう。吉永小百合から栗原小巻を経由して天地真理(ああネタが古い!)というような。
それをして「性的嗜癖の多様性が実現された」と祝福される方もおられるだろうが、私はそれに同意することができない。
連続的に見たときに「ぱらぱらマンガ」的には変化があっても、同一時間帯内では多様性が確保されていないからである。
その点についてもうすこし世間のみなさま(って誰だ)はご配慮いただけないであろうか。

遅い年賀状のご返事が溝口百合さんから届く。
溝口さんは私が着任したころに神戸女学院の理事をされていた同窓会の重鎮のおばさまである。
知性と信仰と諧謔精神がみごとなバランスを保った「神戸女学院的なるもの」のある種の体現者である。
どういうわけか私はこの「生ける神戸女学院精神」のようなおばさまと十五年来粛々と年賀状を交換している。
最近は大病をされて読書もままならないようだけれど、年始から私の『他者と死者』を取り寄せられご高覧頂いたそうで、その感想が葉書にびっしりと記してあった。
あまりにありがたいお言葉であったので、ついうるうるしてしまった。
葉書の最後の方はもう文字を書く余白がなくなってこんなふうに終わる。
「すでに過去の人間は只祈るのみ。KC130年、戦後60年、私自身が阪神震災10年、大手術1年弱、ご著書拝読二週目(チェシャキャット)」
素敵な人だと思いませんか。

IT秘書から「明後日に200万ヒットになりそうですから、また『賞品』を出してください」という連絡が入る。
秘書の指示にしたがいまして、「200万」ジャスト賞の方と、前後賞の方には、『先生はえらい』のネコマンガサイン入りをお送りいたします。
えっとどうやって数字をゲットしたことを証明するのか、やり方を忘れてしまいましたので、それは秘書から聞いて下さい(イワモトくん、コメントに書いておいてね)。
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