首都大学東京の光と影

2005-01-20 jeudi

後期の授業が終わったが、私に休日は訪れない。
初日はまず東京都立大学の西川直子先生に「さよなら都立大仏文」の記念講演にお招きいただいたので、とことこ南大沢まででかける。
たいへんフレンドリーな雰囲気のなかで、気持ちよく1時間半ほどおしゃべりをさせて頂き、その後には仏文のみなさんにご懇篤なおもてなしを頂いた。
学期末ご多用の中、ご準備の労をとって頂いた西川先生はじめ都立大仏文の先生がたに感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

なつかしい都立大のみなさん

ご承知のように、東京都立大学はこの三月をもって大学としてはなくなる(移行期間の5年間は「旧制度」として名称は残るらしい)。代わって「首都大学東京」(略称「くびだい」)という石原慎太郎都知事のイニシアティヴのもとでの新しいタイプの大学に変貌する。
仏文はなくなる。
一キャンパス全体が「都市教養学部」という一学部になり、学長・理事長をトップとする上意下達システムで運営され、教授会ももうなくなるそうである。
首大がどういう構想の大学か、新学長と石原都知事のコメントを拝読してみよう。
まず、西沢潤一新学長のおことば。

 このたび、計らずも首都大学東京の学長を 2005 年 4 月からお引き受けすることとなり、今更ながらその責任の重さをしみじみと噛みしめているところです。明治以来、欧米流の学校教育が導入され、それまでの日本文化に基づいた学校教育の基礎の上に殆ど毎年改廃があったと云ってもよい程激しい改革が行なわれ、その結果、相当評価される境地に達することが出来たことが、明治以降の日本の大躍進を呼び起したと云えるのではないでしょうか。正に米百俵であったのです。
 しかし、その後、全く新しい発想の下に出発していた私立大学ですら、一様に東京大学をその理想として画一化がはじまりました。特に戦後の新制教育が導入されてからは急速に進められたのです。差異の表現は只一つ、偏差値でした。
 そもそも、公立大学は地元が欲する人物を養成する目的で、地元が設立したものです。東京は、長い間、日本の首都機能を果して来ました。そのノウハウは膨大なものがあります。そして今、日本の中のみならず、アジア全体が都市化に狂奔しています。此の時に当って、東京は、その経験を人間的でありながら、効率化を実現する新しい都市構成を形成させるべき人材の養成と手法の向上に努めるべきではないでしょうか。
 大体日本の思潮は相手の理解に基づいています。決して余分に時間をかけることを自慢するようであってはならないのですが、相互理解を進めて、妥協し合うのです。明石さんがカンボジアで推進されたことです。「世界中に只一人でも不幸な人が残っているうちは、個人の幸福はあり得ない」と云う宮沢賢治の精神が、その基礎です。この北アジアの精神とも云うべきものが、賢治に集約され、新渡戸稲造先生が国際連盟を作られ、国際連合に引き継がれたのです。新渡戸先生は賢治精神の政治哲学における実践者だと思います。
 この精神を東京市長の経験を持つ内務大臣として大震災後の復興に実現されたのが後藤新平先生です。昭和道路は有名ですが、三多摩地区においても、利用目的も見当らなかった土地を買い上げて市有地としました。今、汚染物質の発生しない土地として多摩の上水を生じ、これが東京都民の水道源となっています。都民全体の生活を考えてこその着眼だったのではないでしょうか。都市工学の開祖です。今、東京に集る若者が、先ず東京を日本文化に基づいた理想都市化する、これが新大学だと考えています。

これが新学長からのメッセージの全文である。
意味わかりました?
私には「意味ぷー」であった。
さしあたり私にわかるのは、この文章を書いた人間は、あまり日本語運用能力がないということと、論理的思考が苦手らしいということと、自分のことばを聴き手が理解してくれるかどうかということにはあまり興味がないタイプの人間だということであった。
そういうタイプの人間が教育事業に適性があるのかどうか、私はいささか懐疑的であるが、諸賢の印象はいかがであろうか。
新渡部稲造が「国際連盟を作った」ということもはじめて聞いた。
首都大学の入試で「世界史」「日本史」を選択する受験生諸君は慎重な配慮が必要と思われる。
「意味がわかる」という点について言えば、次の石原慎太郎のことばは西沢新学長のものよりずっとクリアーカットである。
では都知事からひとこと。

 来年の四月から、いよいよ既存の都立大学をはじめ四つの大学を束ねて「首都大学東京」という、今までになかった全く新しい形の大学をつくります。
 今、在学中の学生さんにも勿論そのまま続けて頂き、これから新入生になろうとする人たちに、この大学の新しい感触をぜひ知って頂きたいと思っています。
 今、大学に行っても、何かあまり面白くないと感じている学生が大勢いるでしょう。私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。というのも、大学の先生も毎年同じ講義を繰り返している人ばかりでした。ただ、やはり、あの頃から一橋大学と東大の交換授業が始まり、学生の分際で生意気かも知れませんが、東大の経済学の先生の話を聴いて「こんな古くさいマルクス経済学を今頃東大はやっているのか」と、聴きながら馬鹿にしたような覚えがあります。東大の学生もそれで満足したのか不満足だったのかは知りませんが。
 いずれにしろ、もうそろそろ、学生を教えている先生そのものも自己批判して、自分がどんな授業をするかということだけではなく、それも含めて大学のカリキュラム全体のあり方を考えなければ、現代という非常に速く変化し様々なニーズが出てきている時代に、若者の欲求を満たすような大学にはなり得ないと思います。
 新大学には、色々な新しいシステムを取り入れます。例えば、学生の皆さんが大学に入った後思い立ち「よし、俺は青年海外協力隊で一年間カンボジアへ行ってくる」とか「アフリカへ行ってくる」という場合でも、それを得難い体験として修学と同様に評価し進学させたり、それを単位にしたりすることを考えています。
 また、他の学校の、あの先生の講義を聴いてみたいという場合には、その大学との約束も取りつけた上で、単位を銀行の預金のように蓄積して卒業の条件に叶えてもらうことも考えています。
 さらに、産学協同という言葉がありますが、研究の分野だけではなく一代にして自分の創意で大変面白い、新しい企業を創った経営者の人たちに専任講師になってもらい、集中講義をしてもらうことなども有益です。そのような人たちの話を聴いた方が余程面白いと思います。生活感覚もない先生の経済学や経営学の話を聴くよりも、例えば「百円ショップ」を創った人が、どうやって創ったとか、今、プロ野球で問題になっている、皆さんとそんなに歳も変わらないライブドアや楽天の経営者が、どうやって既存の企業に見切りをつけ、どういう発想で何を考えて何をやったかということを聴くことは、大変刺激になることでしょう。いちいち鉛筆で先生の言っていることを写すような授業よりも、はるかにアクティブで人生のためになると思います。
 私は、出来れば一年生や二年生は全員昔のように寮に入ったらいいと思っています。昔の旧制高校の寮をそのまま復活するつもりはありませんが、同じ屋根の下で一緒に寝起きし飯を食って酒を飲むという、そういう付合いというものが今の日本の社会ではなくなってきています。そういったことが、大学生たる若い皆さんの人生をどうやって形づくっていくか、それは非常に有効なものだと思います。
 そして、何といっても学長はあの東北大学を立て直した、特に文部省と東大の権威に真っ向から反対してきた西澤潤一さんという教育者としても卓見を持ったすばらしい方です。私は昔から存じ上げていますが、ようやくこの人をくどき落として学長に迎えることができました。西澤さんも「やるなら、まず東京からだ」と本当に新しい大学の創設に協力していただいています。
 しかも、都立大学に限らず、いろいろな大学を卒業し成功している大・中・小の優良企業の経営者の方々で日本の教育を憂いている人たちばかりが、新しい「首都大学東京」をサポートしていく、あるいは学生たちをサポートしていくチームを作ろうということで、この十月に東京Uクラブが発足しました。
 そういう点で、社会を広範囲に覆う人脈というものがその核に大学を据えた形で、新しい大学の運営というものを考えていきたいと思っています。とにかく奮って応募して頂くとともに、いろいろな人材がここから輩出していくことを熱願しています。

品格とか文彩というものを期待する種類の文章ではないけれど、それにしてもここに盛り込まれた教育理念の「貧しさ」にはどなたも一驚を喫されるであろう。
もし、これが現国の問題だとして「作者は何を言いたいのか?」という問いが出されたら、みなさんはどうお答えになるだろう。
私が予備校教師なら、熟慮の末に「私は東大が嫌いだ」と「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶことはない」を「正解」とするであろう。
若いころから彼の書く文章には、東大がいかにろくでもない大学で一橋大学がいかによい大学かが繰り返し語られていたので、石原の東大嫌いを私は熟知しているが、七十歳を越してまだ「東大はダメで一橋がいい」ということを言いつのっているところをみると、これはもうほとんど「トラウマ」の域に達しているようである。
私も石原同様、東京大学というのがそれほどたいそうな教育機関だとは思っていない。だが、そんなことは日本国民のおおかたが熟知されていることのはずで、都知事が新大学の開校のメッセージにぜひとも書かなければならないほどのことではないように思われる。
他大学を名指しでけなすことばを開学の辞に含めるというのは、常識ある社会人のとる行動ではないだろう。
「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶものがない」というのも、この文章の全体に伏流する主張であり、みなさんも私の読解に深く同意されると思う。
だが、その場合、それならどうして大学という制度を継続しなければならないのか、その理由が私にはうまく想像できない(どなたにも想像できないであろう)。
それよりはむしろ(これは前に書いたことの繰り返しになって恐縮だが)、「首都大」というサーバーを一個都庁の倉庫にでも置いてはどうか。
学生たちが「他の学校の、あの先生の講義」を聞きに行ったり、「カンボジア」に行ったり、堀江某の「金で買えないものはない」というような講演を聴きに行ったり、同年齢の友人たちとルームシェアして酒を飲むたびに、パソコンの端末から自己申告で「単位申請」を打ち込む。
そのように単位を「銀行に預金するように蓄積」して、124単位たまったら自動的に卒業証書がプリントアウトされるというシステムにすればよろしいのではないかと思う。
それなら、キャンパスもいらないし、教員もいらない。
サーバーのメンテをする派遣社員の二人もいれば十分である。
ときどき都知事と学長が「メッセージ」をHPに載せれば教育理念を周知徹底するには十分であろう。
それで学生一人から毎年数十万円の学費を徴収すれば、首都大学は都の財政負担を軽減するどころか、巨大な収入源になるはずである。
都の役人諸君にはぜひとも前向きでご一考願いたい。
憎まれ口はさておき、それよりも、私が気になるのは、この文章の「粗雑さ」である。
たとえば、次のような文章をみなさんはどう思われるか。
「私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。」
中学生みたいな文である。
「比較的」という副詞は「自由な」におそらくかかるのであろう。
しかし「自由な」の前には「割と」といういささかくだけているが、「比較的」とほぼ同義の副詞が置かれている。
わが同僚の「赤ペン先生」ナバちゃんがこの文章の添削を委託されれば、ここは赤ペンでばしっと下線が引かれ、「同義の副詞を無用に反復してはいけません」というコメントが書き込まれるところである。
そのあとの「けれども、それでも」という接続の仕方も論理的ではない。
ここもナバちゃんなら、「『自由な大学』とそこで学ぶ学生の勉強量の多寡のあいだにどのような論理的関係があるのか、これではわかりません。『それでも』を逆接と取ると、あなたは『自由な大学では学生は勉強をよくする』ということを自明の前提としているようですが、その論拠が示されていません。もっと論理的な日本語の文章をたくさん読んで勉強してください」というようなコメントを欄外にがしがし書き込むであろう。
私はナバちゃんほどシビアな人間ではないので、気楽に読み飛ばしてしまったが、それでもひとつだけわかることがある。
それはこの文章を書いた人間は、書いたあとこれを読み返して推敲していない、ということである。
もし石原慎太郎が眼光紙背に徹するまで熟読玩味した末に「これ」を差し出したというのが事実なら、私はこの人物がかつて作家であったということを決して信じないであろう。
ということはおそらくこれは「知事、首都大のために開学のメッセージをお願いします」という秘書官の懇請に応じて「おう」と五分ほどで書き飛ばした文章だということを意味している。
都立の新しい大学の教育理念を全日本国民にむけて発信するメッセージを「五分で書きとばした」(のか「実は十分かかった」のか私には厳密に判定する術がないが)理由として、私たちが推論できることは一つしかない。
それは都知事がこの大学のことをあまり真剣には考える気がないということである。
日本語運用能力と論理的思考力にいささか難のある学長と、開設される新大学について(というよりそもそも「教育について」)真剣に考える習慣のない政治家によって領導される大学がこのあとどうなってしまうのか、推測することはそれほど困難ではない。
都立大学最後の「さよならイベント」にお招き頂き、なつかしい都立の先生たちを前にして、私は「文部科学省の高等教育再編構想と大学の機能分化について」1時間ほど語った。
論の性質上、首都大学東京の未来の見通しについても若干のコメントを述べさせて頂いた。
私の予測では、首都大学東京は日本の高等教育史に残る劇的な失敗例となるであろうというものである。
都立大学の教育理念を守るために悪戦してきた教員のみなさんや、そこで学びつづけなければならない学生院生の諸君にとってはたいへん気の毒なことであるが、私の予言は悪いことにかんしてはたいへん的中率が高いのである。
もちろん、私の予測を非とされて、首都大学東京の弥栄を念じている方もおられるであろうから、首大の「志願者数の前年比」や「合格者の平均偏差値の変化」については今後情報が入り次第ご報告して、私の見通しの当否については検証を行いたいと思っている。
ただ予言というのは、それ自体すでに遂行的なものなので、私のこのHPを読んで「首大受けようと思っていたけど、止めようかな・・・」という受験生も何人かはおられるであろうから、その点については予言の的中率を割り引いて頂かなければならないのである。
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