お気楽物書き稼業

2005-01-11 mardi

一昨日の日記のTBに「プロの物書きなら指定された尺に収めるのも芸のうちではないか」というご指摘がなされた。
まったくご指摘のとおりである。
ただ、ひとつご指摘に添えないことがある。
私は「プロの物書き」ではないということである。
私は大学の教師であって、ものを書くのは私の「趣味」である。
ふざけたことを言うな、原稿を書いて原稿料をもらい、本を出して印税を受け取るならプロの物書きだろうというご意見もあるかもしれないが、本人がそう思っていないんだから仕方がない。
私は原稿料を貰って書いた原稿の100倍くらいの量の原稿をこのHP上で無料公開している。
そもそも私の書いた有料テクストのほとんどは今でも(スクロールの手間さえ惜しまなければ)無料で読める。
書きますと約束した本を、「やっぱりめんどくさいから、書きません」と平気で言うし、7年かかって翻訳した本が翻訳権取り忘れたので出せませんと言われれば、「あらま」と泣き寝入りする。
とても「プロの物書き」などと言えない。
私はただの「お気楽な趣味の物書き」である。
そんな気楽な立場があるものかと言われても、「お気楽な趣味の物書き」になりたいとずっと思っていて、さまざまな努力を重ねたすえに、ようやく勝ち得たこのポジションである。「お気楽な立場」に立つための「それなりの努力」という対価を払っているんだから、その点はぜひともご了察願わなくてはならない。
だったら、どうして書いたものに有料頒布することに同意するのかというご意見もあるかもしれない。
でも、それは理由がある。
「人は無料で読めるテクストより課金されたテクストの方を真剣に読む」という経験則があるからである。
私は自分の言いたいことをできるだけ多くの人に(できれば真剣に)読んで欲しいと願っている。だから、課金したいという出版社からの申し出には、「あ、どうぞ」と応じているのである。
前にコピーライツとかオーサーシップというような近代的な概念は嫌いだと書いたら、「プロの物書き」という人から大学の教師風情がふざけたことを言うなというおしかりを受けた。
しかし、私自身の書き物のほとんど全部は先人からの「受け売り」であり、私が用いている日本語はすべて先人たちが営々として構築したものをお借りしている。
そのような作物に「知的所有権」を請求するようなことは、私にははばかられる。
私が印税などとしていただいているのは、いわば「受け売り」の手間賃、「ダイジェスト」のバイト代である。
だから、私の本やHPのテクストを誰かが切り貼りして本にして、その人の名前で出しても、その方に「受け売りの手間賃」の請求権があって当然だろうと思う(とずっと言っているのだけれど、誰もやってくれない…)
私は「ものを書くとはどういうことか」ということを高校生の頃から集中的に考えてきた。
その点について言えば、私は「ものを書くとはどういうことか問題」の専門家であると自負している。
その30年余の試行錯誤の結論が、「みんな、好きに書けばいいんじゃないの」というものである。
私は私の好きなようなやりかたで書き、みなさんはみなさんの好きなようなやりかたで書く。
読みたい人は読み、読みたくない人は読まない。
それがものを書く人にとっても、読み手にとっても、書かれるテクストにとっても、いちばん幸福な条件であると私は信じている。
といいながら、いきなり前言撤回するようで気が引けるけれど、私も字数指定が動かせないという原稿はきちんと字数通りに書いている。
そんなこと別に少しもむずかしいことではないからだ。
現に、日本中のメディアに毎日掲載されているテクストのほとんどは、書き手がプロであるかアマチュアであるかを問わず、字数指定の中で書かれている。
しかし、たまには字数指定を超えてでも、これだけは書いておかなければならないという気がすることもある。
一昨日はなにしろ相手が相手だから、そういう気がしたのである。
どうかご関係各位にはご海容を願いたいものである。
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