韓流ドラマの作り方

2005-01-06 jeudi

母、兄と三人で箱根湯本の吉池に湯治に出かける。
父の在世中からの正月行事で、るんちゃんが小さい頃からのことだから、もうかれこれ15年ほど続いているはずである。
るんちゃんや甥たちが来なくなり、父が世を去り、この三年ほどは母、兄、私の三人だけの旅行である。
町田からロマンスカーで湯本まで50分ほど。そこから徒歩五分ほどのところに旅館がある。
前回は兄上、平川君、石川君との「極楽麻雀&60年代ポップスツァー」二泊三日というものを去年の夏にここでやった。
半年ぶりに、今度は冬枯れの箱根の山を眺めながら露天風呂に浸かる。
ご飯を食べ、お酒を酌み交わし、風呂に入り、よしなしおしゃべりに時を忘れる。
今回の話題は「韓流TVドラマ」。
兄は、たいへんにコアな「韓流TVドラマ」ウォッチャーである。
兄によると、韓国のTVドラマの特徴はとにかく「長い」ということに尽きるのだそうである。
なにしろ1回70分で全66回などという途方もない長さなのである。
韓流ドラマにはまる奥様たちというのは、借りてきたDVDを家族がでかけた午前中から見始めて、昼に一服、その後再び夕方まで見続け、家族が帰ってくる時間に渋々腰を上げ、あとはひたすら翌日の来るのを待つ…というような生活を数週間にわたって継続したあげくに、日常生活の出来事よりもTVドラマの中の出来事の方が濃密なリアリティを獲得する、という倒錯に陥り、もうそこから出られなくなってしまう…というのが兄の見解である。
これはネットゲームにはまって、日常生活のあれこれよりもヴァーチャルな世界の出来事を処理することの方が優先順位が高くなってしまう倒錯とよく似ている。
ネットゲーマー100万人が韓国で社会問題になったのはつい先日の話である。
あるいは隣国では、マダムたちがドラマにはまり、子どもたちがネットゲームにはまる…というかたちで、国民を挙げて「アディクト」されているのかもしれない。
で、韓国のお父さんたちは、何にアディクトしているんだろう。
兄によると韓流ドラマの定型的ドラマツルギーは

(1)身分違いの恋
(2)逆らうことの出来ない親の権威
(3)白血病
(4)記憶喪失

の4ポイントだそうである。
これだけおさえておけばオッケーらしい。
さらに兄の説では、このすべてが現代日本では失われてしまった、というのが日本のTVドラマ不振の理由である。
たしかに、わが国にはもう「身分違いの恋」などというものは絶えて聞かない。
「親の権威」は地に墜ちて久しい。
「白血病」や「癌」はかろうじてドラマに残されているが、「記憶喪失」は物語の伏線としてならともかく、こんがらがった物語を決着させる「デウス・エクス・マキーナ」として使うのは禁じ手である。
となると、たしかに日本のTVの恋愛ドラマが面白いはずはない。
だって、それは「波瀾万丈の恋が艱難辛苦を乗り越えて成就するまで」のどきどきするプロセスをまるっと抜いて、「もうくっついちゃった男女が、そのあと浮気したり、裏切ったり、嫉妬したり、疑ったりする話」なんだから。
つまり、高橋源一郎さん風に言えば、韓流ドラマは『野菊の墓』で、日本のドラマは『それから』や『こゝろ』だということである。
「恋が悲劇的に終わるまで」の話と、「悲劇的クライマックスの後に続く平凡で退屈な日々」の話とじゃ、たしかに勝負にならない。
『こゝろ』を小林薫(先生)と寺島しのぶ(奥さん)と岡田准一(私)で連続ドラマにしたら、あなた見ます?
私は見ちゃうけど…
一泊して、箱根でさらに三婆湯治の旅を続けるという母を残して、小田原から新幹線で五日ぶりに芦屋に戻る。
車中で晶文社の安藤さんから送ってもらった仲俣暁生『極西文学論』を読む。
ポスト村上春樹世代を代表する舞城王太郎、吉田修一、阿部和重、保坂和志、星野智幸の五人の作家を論じたもの。
私はこの五人の小説をまるで読んでないが(いちど書評を頼まれて、その中の一冊だけ読んだことがある)、日本の現代文学をロックやビートニク文学やドイツ映画などとリンクさせて、その世界史的なポジションを浮かび上がらせるという構想は「教養」主義的で好きである。
ただ、「ポスト村上」という枠組みの意味が私にはよくわからない。
前にも書いたけれど、私は歴史の審判力というものを信じていないので、「ポストなんとか」という枠組みでものを考える習慣がない。
人文科学に関して言えば、後から来たものは、たいていの場合、たまたま後から来ただけであって、原理的に先行者よりも優れているということはない。
百年前の作品であろうと昨日の作物であろうと、いいものはいいし、ジャンクはジャンクである。
どんな歴史的制約があっても、時代の枠組みを超える人は超えるし、超えない人は超えない。
仲俣さんの本は次のような結論で終わっている。
もちろん私にも何の異論もない。

いま私たちが立っているところが「アメリカ」なのか、「日本」なのか、それとも「J国」なのか、そんなことはどうでもいい。少なくとも、私たちは具体的なここに立っている。もし生きている人間がどこであれ足場をもっているなら、その場所がいかに弱い土壌に見えようとも、そこが言葉を植えるには値しない場所であるなどと誰にも言うことはできない。
私たちの足元には土地があるのだが、植えられる言葉だけがまだ足りない。私たちがいちばん必要としているのは、どんな土壌でも葉を伸ばしていけるような、強い強い言葉なのである。(229頁)

ただし、このとき仲俣さんが考えている「強い言葉」と私が思い浮かべる「強い言葉」はずいぶん肌合いの違うものではないかという気がする。
私がこの一週間のあいだに読んだ、いちばん「強い言葉」は次のようなものである。

予や年初めて十八、贄を先生の門に執る。今に及んで十余年、其教養撫育の恩深く心肝に命ず。而して未だ万一の報ずる有らず、早く死別の悲みに遭ふ。遺憾何ぞ限らん。平生事に触れ物に接して、毎に憶ふ先生の生前に至れば、其姿其音、夢寐の間に髣髴として、今猶ほ昨日の如きを如何せんや。(中略)描く所何物ぞ。伝記乎、伝記に非ず。評論乎、評論に非ず。弔辞乎、弔辞に非ず。惟だ予が嘗て見たる所の先生のみ、予が今見つつ有る所の先生のみ。予が無限の悲みのみ。予が無窮の恨みのみ。之を描きて豈に能く描き尽くすと曰はんや。即ち児女の泣に代へて聊か追慕の情を遣るのみ。

『兆民先生』序言、秋水幸徳伝次郎。明治35年の書き物である。秋水はその師に遅れること10年、明治44年に大逆事件で処刑された。享年40歳。
声に出して読んで頂きたい。できたら「明治の速度」の早口でね。
言葉の区々たる意味などどうでもよろしい。
力、あるでしょう?
わかんないかな。
私はきっぱりとした「勁さ」を感じる。
こういう「強い言葉」は現代の文学にはもうどこを探しても見ることができない。
たぶんこういう言葉は、いま「文学」が問題にしている「強い言葉」のうちにはカウントされないのだろう。
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