明治の速度

2005-01-05 mercredi

るんちゃんと久しぶりにお会いする。
自由が丘駅頭にて「あ、ども」とふたりでぺこりとお辞儀して、年始のご挨拶を申し上げ、お年玉など差し上げる。
いつものハイアニス・ポート(ここは60年代アメリカンポップスしかかけないコアなカフェで、るんちゃんも私もお気に入り)で久闊を叙す。
るんちゃん今年の抱負は「起業」だそうである。
また、どうしてとお訊ねすると、「ナイスちゃん」という子と知り合い、最初ふたりとも相手の名前をニックネームだと思っていたら、ほんとうに本名が「るん」と「ナイス」だったので、びっくりして「変な名前をつける親の子ども」ということで仲良しになった、そのナイスちゃんといっしょに仕事を始めるのだそうである(わかりにくい話ですまない)。
私が平川君と起業したのは77年、26歳のときであるから、私より4歳若くしてビジネス界に入る(というほどでもないけど)わけである。
ぜひがんばって大成功して、老父にフェラーリなど買ってくださるとありがたい。
30分ほどでるんちゃんとバイバイして、今度は雪谷大塚駅頭にてその平川克美君と待ち合わせて、小学校のときの担任の手嶋晃先生のところにお年賀にでかける。
平川君は年末年始と風邪で倒れていたので、まだ本調子ではない。
やあやあとご挨拶する。
雪谷大塚駅のドトールコーヒーでTFK2の原稿を書きながら待っていてくれた。
「あんなことばかり書いて江さん困らないかな」
「いいんじゃない、別に」
「長すぎないかな」
「長すぎたら、江さんがカットするでしょ」
「ぜんぜん『若い奴らにばあんと説教』じゃないね」
「いんだよ、たまにはわけのわかんないもの読むのも人生修行のうちだよ」
どちらがどちらのせりふかはすぐわかりますね。
手嶋先生とお会いするのは平川君の結婚式以来だから30年ぶりくらいである。
頭髪に雪を置いた手嶋先生は、30代のころと声やたたずまいは少しも変わらない。
1時間半ほどおじゃまして、今度は武蔵小山駅前(駅前シリーズだな今日は)のペットサウンズで店番をしている石川茂樹君を訪れる。
昨秋会社を辞めて中年フリーターとなった石川君は「アメリカンポップス中古レコード屋の店番」という至福の時間を過ごしているが、このペットサウンズも駅前再開発の波に洗われて閉店らしい。
閉店セールで石川君お薦めのCDを二枚(コール・ポーター映画のサウンドトラックと「ルラル」)を買う。
石川君は私の「ポップス道」の師匠であるので、師匠の指示には素直に従う。
ペットサウンズの店長の森勉さんとご挨拶。
『ユリイカ』に書いた大瀧詠一論をほめていただく。
私のようなシロートがあのような大ネタを書いて大丈夫かしらと心配していたのだけれど、専門家的にもとりあえずはオッケーだったらしい。ほっ。
三人で鰻を食べて軽くビールをのんで、お別れする。
家にもどってから机に向かって「高橋源一郎の明治文学講義in神戸女学院」の校正。
ちょうど3日目の午後のところ。私はこの半日だけ用事があって席を外していたのである。
そのときの話が採録されている。
おおお、なんて面白いんだ!
その日の午前中に松田聖子の『野菊の墓』を見て、その午後にどうして1980年代になって明治文学の映画化が不可能になったのかについて高橋さんが考究されているのであるが、これが私のこれまで不思議に思っていたこととあちこちで符合するのである。
いちばんびっくりしたのは「明治の人は早口だった」という知見である。
実は私も前からそう思っていたのである。
最初にそれに気づいたのは、川上音二郎のパリ公演の録音というのを大瀧詠一の『日本ポップス伝』で聴いたときである。
異常に早口なのである。
川上音二郎と言えば「おっぺけぺ」の人である。
自由民権運動の闘士である。
こんなきいきい声なの?
はじめはレコードの回転数が狂っているんだろうと思っていた。
しかし、そのあと明治時代のどの音源のものを聴いても、みんな同じ早さなのである。
めちゃくちゃ早い。
実際に中江兆民の書いたものなんかを音読してみると、「すごく速く読み上げても(むしろ速く読んだ方が)意味がすらすら分かる」ということがある。
戦前の映画のせりふも速い。
音楽もそうだ。
大瀧詠一の番組では『影を慕いて』の戦前版(藤山一郎ヴァージョン)と戦後版(森進一ヴァージョン)を聞き比べて、森ヴァージョンのテンポがやたらに遅くなっていることが指摘されていた。
戦後になってアメリカ文化が入ってきて、生活のテンポが速くなった・・・というふうに一般には言われているが、実は人間の話す速度は遅くなっているのである。
そのところについての高橋さんのご高説を一部ご紹介しよう。(予告編ね)

で、これは、みなさん気付いたかどうかわかりませんが、『虞美人草』や『たけくらべ』との大きい違いは、もう一つあるんです。
明治に近づけば近づくほど、登場人物たちの会話が早口になるんです。みなさん、古いニュース映画とか古い時代のアナウンサーのしゃべりとかを、聞かれたことがあると思いますが、すごい早口でしゃべってると思いませんか?とても速いんです。
『虞美人草』でもそうだったと思うんですがね、早口なんですね、みんな。で、これは古い時代の落語家の録音を聞いてもそうですし、演説を聞いてもそうです。早口。どの時代からなのか、ちょっとわからないのですが、明治のある時期から、人々のしゃべりっていうのは現在の我々のしゃべりよりも、僕も今ゆっくりしゃべってますけれども、速かったんですね。でも、今、この速さで『野菊の墓』を朗読されると、悲劇感がなくなるでしょ。これは、あまり文学評論でも明治論でも出てこない話なんです。なかなか証明しづらいから。
僕は、遠い時代のものがだんだん遠く感じられる理由ってのは何かっていうことを考えるんです。もちろん、自分が知らない、とそういうようなこともありますが、スピードが違うんじゃないかっていう気がするんですね。『野菊の墓』の原稿七、八十枚というのは、ただ単に短いというだけじゃなくて、速いんです。やっぱり。スピードが。『坊ちゃん』も大変速い小説ですね。このスピードのまま映画化したら、何ていうんでしょう、早回しのフィルムを見ているようで、とても不自然に見えるんじゃないかと思います。
映画版の松田聖子や、政夫役の彼らは、ゆっくりしゃべりましたよね。あれを早口で言われると、これは恋愛のシーンか?っという。つまり、スピードが違うだけで、そこに発生しているエモーション、感情の感覚が違うわけですね。そして、スピードというものは実は、印刷できないんです。楽譜には速度記号がありますけども、文章には速度記号がないんです。僕はさっき自分流のスピードで読みましたが、実際にこれを書いた当時の作家や読者がこういう文章をどういう速度で考えていたかというのはわかりません。たぶん、相当速かっただろうと。そういう速い中で、彼らの世界が展開していたわけですね。
この速い世界を映画にする、それはたぶん『虞美人草』や『たけくらべ』の時代までは可能だったのかもしれませんが、カラーの時代になったときすでに、我々自身のスピード感が違っていた。ある意味ゆっくりしている。どういうスピードかっていうと、僕は、テレビ的スピードじゃないかと思うんですね。

さすが史上最強の批評家タカハシさんである。
映画の早口から、それが文学そのものが内在させている「物語の速度」にも連関していることを看破するとは。
この「明治文学の速度」という知見はきわめて多産なものであるように私には思われる。
意外なことに、この「明治文学の速度」を今に保っている作家が実はいまだに何人か存在するのである。
たとえば・・・橋本治!
橋本先生は「平成の明治人」だったのである。
知らなかったでしょ。
私も知らなかった。
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