合気道のお稽古に「丸亀のロレンツォ・メディチ」こと「史上最強の呉服屋の若旦那」守伸二郎さんが遊びに来る。
守さんを最初にご紹介くださったのは、松聲館の甲野善紀先生。
三年ほど前、芦屋の道場に甲野先生、作家の多田容子さんとご一緒においでになり、そのとき甲野先生から「四国最強」とご紹介頂いたのである。
空手はじめさまざまな武歴を誇る守さんは、甲野先生の講習会を定期的に丸亀で開催しながら、現在は、光岡英稔師範のもとで韓氏意拳の研究に集中されている。
その守さんが芦屋にいらしたのは、別に「道場破り」とかそういう剣呑なお話ではない。
「讃岐うどん」の納会への差し入れ、「ウチダの着物用コート受注」といった市民的行事をかねて、旧知の合気道会の門人諸氏と久闊を叙すべくお越しになったのである。
守さんが見えたので、一月ぶりに芦屋の道場に立つウチダも気合いが入り、Pちゃん、ウッキー、ドクターをばこんばこんと投げ飛ばし押さえつけ締め上げ、久しぶりに暴力衝動全開状態となったのである。ごめんね、みんな。痛くして。
稽古後、ロイホにて守さんを囲んで、意拳と合気道の共通点について熱く語る。
守さんの最近のキーワードは「構造」である。
これは甲野先生も前回の講習会で言及されていた。
人間の身体を自己組織化する構造体としてとらえ、それが「最強」の構造をとったときというのはどういう「感じ」になるかを探求するというアプローチのようである。
そのための稽古はほとんど「内観」というのに近くなる。
そこに少しでも計算や思考が介在すると、感覚が遮断され、情報が汚れる。
だから、站椿では、時間を気にしたり、巧拙を気にかけたり、総じて思念が入ることをきびしく禁じているのである。
たぶん、何の賢しらもない子供が、まっすぐ、気持ちよく、なんの詰まりも滞りもない状態で、すっと立っているような状態が構造的にはたいへんよい状態なのであろう。
当然ながら、そういうものを長じてから意図的に再構築することはたいへんにむずかしい。
思念を介在させなければ、「思念のない状態」を再現できないというパラドクスに私たちは遭遇する。
この矛盾を矛盾として両立させるために「術」の体系があり、その「術」の習得のために千日万日の稽古を私たちは積んでいるわけである。
その話をしているときに、ふと先日、橋本治さんと対談したときのことを思い出した。
これは「ちくま」に掲載予定なので、とりあえず「予告編」ということで一部のみ採録させて頂くが、橋本先生と私はこんなことを話していたのである。
内田:僕は、子供の原体験というのは絶対的快感だと思うんですよ。「ああ、気持ちいい!」っていう。僕らが子供の時代だと、夕焼けをぼおっと見てる時に、お豆腐屋さんのプーッていうラッパが聞こえて、薪の焼ける匂いがしたりしましたよね。そういう時に、「ああ、すごーく気持ちがいい」と思うってことあったでしょう。たぶんその時の身体ってすごくいい状態だったはずなんです。肩の力がスッと抜けて、体軸もまっすぐで、どこにも力みも詰まりもなくて。この時の「ああ、気持ちいい」っていうのが、その後生きて行く時、最終的に絶えず参照していく原点になると思うんですよ。
橋本:そのね、「ああ、気持ちがいい」を思い切り表現したことが一度だけあります。近所の子たちと知らない原っぱに遊びに行ったんですよ。そしたら地元の子らしい小さな子のグループがもう一つ来たんです。しばらく別々に遊んでる間に、どちらからともなしに「一緒に遊ばない?」ってなって、二十人ぐらいで遊んでね。知らない人とこんなに遊べるんだっていうことが、みんな子供心にもすごくエキサイティングだったんですよ。やがて林の影に日が落ちて暗くなったからもう帰ろうということで、「じゃあね、さよなら」って言って、林を抜けてフッと顔上げたら、真っ赤な夕焼けなんですよ。で、「ああ、きれい」って言うかわりに、みんなでいつの間にか「夕焼け小焼けで日が暮れて」って大声で歌いだしちゃったんですよ(笑)。まるで子供が出てくる映画のワンシーンなんだけど、そんなの子供が見ててもわざとらしいと思ってたわけですよ(笑)。でもほんと自然に、みんなで歌いながらね、ズーッと歩いちゃったんですよ。さすがに俺も五年生か六年生だったから、何かとんでもないことやってるのかなって思ったんだけど(笑)。
内田:子供の時の感動って、疑いえない原体験じゃないですか。今のお話で言えば、見知らぬ者同士の間に、確かな連帯感というものがありうるっていうことを、知っている人間と知らない人間とでは、その後の生き方がもう決定的に違ってくると思うんですね。
橋本:ほんと違いますよね。教えてもわかんないもんね。
守さんは最近は幼稚園児や小学生に意拳を教えておられるそうであるが。何も考えない幼稚園児の方が、なまじことばを覚えてしまった小学生よりも構造的に正しい動きができるという観察を述べられていた。
まことに興味深いことである。
どうやら、遠からず丸亀と岡山を結ぶ線が武道の世界的拠点になりそうである。
守さんをお送りしたあと、IT秘書を帯同して、一月ほど前から機能停止しているウィンドウズマシンのインターネット機能の復旧工事を行う。
イワモトくんは、しばらくチャカチャカとキーボードを叩いていたが、「うーむ」と腕組みして困惑している。
これはけっこう深刻な事態なのであろうかと心配して、「ダメなの?」と問いかけると、
「いや、直りました。ただ、どうして、直ったのか分らない。というか、何でこれが今まで動かなかったのか、その理由がわからない」
ふたりでしばらく顔を見合わせたのち、
「その人がパソコンに触ると理由なく壊れる、という人っているよね」
「いますね。誰とはいいませんけれど」
「ははは」
「はは、ははは」
ということで事なきを得る。
それから秘書を相手に、スパゲッティ、チーズなどを食べ散らしつつ、ワインを飲み、青年の悩みに耳を傾けてているうちに深更に至る。
書肆心水という出版社から『言語と文学』という不思議な本が出て見本版が送られてきた。
表紙を見て、「ぎゃあ」と叫んで腰を抜かす。
なにしろ著者のところに「モーリス・ブランショ、ジャン・ポーラン、内田樹」と三人名前が並んでいるのである。
私はブランショの『文学はいかにして可能か?』について15年ほど前に書いた旧稿を、求めに応じて「こんな古文書いまごろ出しても、いいんですか?」とおずおずと提供しただけであり、もとよりブランショ、ポーランのような文学史的巨人の横に同じサイズの活字で名前が書かれるような筋合いのものではない。
それって、マルクスについて論文を書いた人間が、「カール・マルクス、でこ山三太郎共著」と題して本を出すようなものである。
「バカじゃないの、ウチダって」と同僚諸氏は嘲り嗤うであろう。
ああ、困った。
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(2004-12-19 13:10)