読書および敬老の心について

2004-12-14 mardi

みすず書房から封書が来て、あけたら読書アンケートであった。
「先生が2004年にお読みになった本のなかから、とくに印象深かったものを五点以内上げて頂ければ幸いに存じます」と書いてある。
はらりと手紙を落としてしまった。
どうしてかというと、今年一年で私はもしかしたら本を五冊読んでないかもしんない・・・と思ったからである。
たしかに本はたくさん買った。
50万円くらい買ったはずである。
研究室の書棚にも、私の机のまわりにも、危機的な状況で本が積み上げてある。しかし、これらの本を私は「読んだ」といえるのか?
個人的な基準によれば、私はこれらの本のほとんどを「読んで」はいない。
調べものをするために、1時間くらいでざっと斜め読みするような読み方なら何百冊か「目を通した」。
書評を頼まれて、がりがりと読み込んだ本もある。
でも、子供のころのような、「時間の経つのを忘れて」、ご飯を食べるのも忘れて読みふけってしまった本には出会っていない
正直に言うと、自分の書いた本だけは、「時間の経つのも忘れて読みふけって」しまうけれど、それは「自分の言いたいこと」が「自分の生理にぴったり合った文体」で書いてあるんだから、仕方がない(自分の書いた本は読む気にならない、というような人間の書いたものを読者が読んで愉悦を得るということがありうるだろうか?)
他人が書いた本の中で、最近唯一時間を忘れて読みふけったのは『高橋源一郎の明治文学史 in 神戸女学院』であるが、これはまだゲラの段階のものであるので、『みすず』にご紹介するわけにはゆかない。
村上春樹の『アフターダーク』も「時間の経つのを忘れて・・・」というほどではなかった。矢作俊彦の『The Wrong Goodbye』も、橋本治の『蝶のゆくえ』も、『マイク・ハマーに伝言』や『桃尻娘』のときのような衝撃はない(これは読者の期待値がそれ以上に上がっているんだから仕方がない)。
時間が経つ前に読み終わってしまった、という本ならあるけど(『セカチュー』とか)。
今年読んだ本で、あ、これはすごい・・・と思って仰天したのはレヴィナスの『時間と他者』とラカンの『エクリ』の序文とレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』とフロイトの『日常生活の精神病理学』であるが、いまさらそんな古典的名著を読んでびっくりしたというのも、ねえ。
でも、ほんとにびっくりした。足がちょっと震えたもの。

日曜の多田塾研修会は愉しかった。
やはり月に一度は多田先生のお話を聞いて、その芸術的な動きを見ていないと、私の中のどこかに「澱」がたまってゆくような気がする。
先生と同じ空間に数時間いるだけで、心身が「浄化」されるのがわかる。
先生の正面に立って呼吸法をしているだけで、軽いトランス状態に入れる。
今回はラッキーなことに最初の1時間半ほどは一列目正面のポジションをゲットできた。いつもはクッチーやウッチーやツッチーと激しい肘でのどづきあいによるポジション争いがあるのだが(誰のことかわからないね、これじゃ)、今回はスムーズにそこに入れた。おそらく若い方たちのあいだに「敬老の心」が芽生えはじめたのであろう。よいことである。
そういえば、ヒロタカくんというのは、こういうときに決して老人を押しのけて前に出ようというようなことがない。まことにディセントな好青年である。
研修会で身も心も清らかな人間に(一時的だが)改変されたが、今回は「多田塾研修会の後に生ビールを飲む会」はパスして新幹線に直行。
新幹線内で研修会初参加のドクター佐藤と「特選とんかつ弁当」を食べながら、ビールで乾杯。
美味しいね、稽古の後に新幹線発車の瞬間に飲み干すビールは。
そのまま2時間余、武道ならびに教育および哲学方面の話題で爆談(前回「爆話」という語を採用したが、「バクワ」はどうも最後が尻抜けで語感がよろしくないので、今後「バクダン」とすることにした。「爆睡」、「爆食」、「爆勉」などの語についてはすでに江口寿史先生にコピーライツがあるが、「爆談」は未登録)

月曜日はユダヤ文化論。
残り三回なので、大急ぎで「巻き」に入る。
昭和の日本の反ユダヤ主義(日猶同祖論+『シオンの議定書』+ヒトラー主義)の奇怪なる論理構造を瞥見したのち、「陰謀史観」と「帰納法的推理」と「機械論的世界観」に基づくところのエドゥアール・ドリュモンの『ユダヤ的フランス』(La France Juive, 1886) の解読に進む。
こんな講義をやっている大学って、日本でこの教室だけだろうなと思う。
とてもたいせつな思想史的論件なんだけどね。

五限は杖道。
学部の授業は三本目引提ゲまで。クラブでは乱合(らんあい)に入る。
乱合を教えるのははじめてだが(私自身、二回くらいしか教わってない)、なんとかなるものである。
時間のかかる形なので、真冬なのにみんな汗をかいている。
でも杖の形稽古は合気道とは違った意味で楽しい。
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