三砂先生と会う

2004-12-12 dimanche

東京の朝日カルチャーセンターで、三砂ちづる先生(津田塾大学)と「身体性を超えて」というお題で対談。
三砂先生との対談は、これでたしか四回目。
基本的に「身体は頭より賢い」んだから、がたがた言わずに「身体のいうことを聴きなさい」という主張をふたりでさまざまなトピックにからめてご提言申し上げるという趣旨のものである。
『オニババ化する女たち』に私は帯文を書かせていただいた(といっても、このHP日記に書いたことばを光文社さんがそのまま転載しただけなんだけど)ので、この本の評判は気になる。
すでに12万部のベストセラーになって、オニババ論争もかまびすしいけれど、批判する人で中身をちゃんと読んでいる人がほとんどいない、と三砂先生はちょっとがっかりしていた。
毎日新聞の先週末の二日続きの記事で、この本が取り上げられ、その中で小倉千加子さんがコメントをしていたが、これがフェミニストの「大物」からのはじめての公式コメントだったらしい。
三砂先生はけっこう楽しみにしていたのだが、やはり本のセンセーショナルな部分にしか触れていない・・・と肩すかしを食わされたようで、すこし片づかない顔をされていた。
フェミニストのみなさんからの批判は、総じて「第二次フェミニスト論争」ですでに決着済みの身体問題をなぜいまごろ蒸し返すのか、というところに帰着するようである。
「第二次フェミニスト論争」というのは、いまが大惨事じゃなくて第三次フェミニズムだそうで、そのイッコ前の世代のことらしいが、いわゆる「フェミニスト本質主義」と「構築主義」の間の熾烈な戦いのことらしい(「らしい」ばかりですみません。あんまり詳しくないので)
本質主義というのは「女性性」とか「母性」というものを生物学的差異にもとづく実質的ファクターととらえる立場で、構築主義というのは、そういうのは制度的なフィクションだという立場(これも乱暴なくくり方だけど)。
で、ご存じのとおり、論争は同点のまま試合終了となり、PK戦で構築主義の勝利に終わったのである。
でも、これはどっちもどっちで、性差というのは、いくぶんかは生物学的であり、いくぶんかは制度的である。いくぶんかは固定的であり、いくぶんかは可塑的である。
どちらかに決めろといわれても困る。
私の立場は、性差というのはかなりの部分制度的なものであるけれど、やっぱり自然的な要素もあって、これを「こっちからこっちは人為的制度! あっちは生物学的与件!」ときっちり切り分けることなんかできるはずないし、そのへんの境目については、「ま、グレーといったら、灰色だわな」タケシタノボル的曖昧さでへらへらしている方がよろしいのではないか、という「立場」というのも気恥ずかしいような「立場」である(三砂先生のお立場もそれほど違わないような気がする)。
まあ、そういう「グレー」な立ち位置からすると、現況は人間存在の「自然的ファクター」についての気配りというかレスペクトがいささか足りないのではないかということで、「身体性の見直し」とか「身体の声に耳を傾けよう」というようなことを申し上げているわけである。
しかし、フェミニストの方々にはその点にはあまりご配慮いただけず、問題は行政だ、とか問題は教育だとか、問題は父権制的パラダイムだというところに話がいつも落ちてしまうので、私たちはつい退屈して「だから、その話はもうわかったから(話を先に進めない?)」とつぶやいてしまうのである。
するとあまりご機嫌がよろしくない。
「あなたの話はよく理解できた(から、次行かない?)」というと怒るのである(誰でもそうか)。
というような「フェミニストの地雷」をばかばか踏みながら歩いている二人の対談であるが、話題は転々奇を究めて叙しがたいのである。
カルチャーセンターでの対談二回分と医学書院と晶文社での二回を併せて、四回分の対談をまとめた本が晶文社からそのうち(「桜の咲く頃」(@安藤)「青葉が目にしみる頃」(@ウチダ))出るはずである。興味のある方はそちらを徴されよ。
対談のあと、三砂先生率いる「和服美女軍団」(フジイはやくも脱落)と編集者のみなさまとお茶(私はビールだが)。時間が早いので、打ち上げ宴会なしで、みなさまとお別れして、まっすぐ相模原の実家に。
母上のご機嫌を伺い、父の位牌に線香を手向け、兄上と歓談。
ここに来ると、なんだか時間が止まったままのようである。ときどきぎっとドアが開いて、隣の書斎から父がスコッチのボトルを手にふらりと出てきて「お、樹、一杯飲むか」と言うんじゃないかというような気がする。
残念ながら父は登場しないので、ひとり手酌で父の好きだったオールドパーを飲みつつ、兄上と「日本的システムはなぜ構造的に破綻するか」についてスルドク意見交換を行う。

日曜は午前中から麹町のPHP研究所で『voice』のためのインタビューを受ける。
『死と身体』をめぐって、時間の他者性とはどういうことか、知的難民たちをどうやって救済するか、合気道とレヴィナスの脳内連関というようなことを読売新聞の尾崎さんという方をお相手にひとしきりお話しする。
1時間ほどでインタビューを切り上げて若松町へ。これから今年最後の多田塾研修会である。
ドクター佐藤の到着を待ちつつ、若松河田駅前の Tully's coffee でコーヒーをのみつつ日記をいま書いているのである。
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