これはびつくり

2004-12-08 mercredi

新聞を開いたら、「香川大教授、わいせつ容疑で逮捕」という見出しが目に入った。
あらまあ、大学の先生がまたですか、これだから大学教授の威信も地に落ちちゃうんだよね・・・とがっくりしつつ、「香川大といえば、あのベストセラーを書いた・・・」とぼんやり記事を読み進んだら、なんと逮捕されたのが香川大学教育学部の岩月謙司教授ご本人だったので二度びつくり。
『「おじさん」的思考』と岩月教授の『女は男のどこを見ているか』という本はほぼ同時期の刊行である。
そのときに、どういうわけか、両者の内容には深く通じるところがあると思った某出版社の編集者から「イワツキ先生と対談しませんか」というオッファーがあった。
どういう方なのか存じ上げないと申し上げたら、その本を送ってくれた。
読んでみたら、どうもその説かれるところが私の考えと「相性」があまりよくなさそうであったので、ごめんねとお断りしたのである。
そのとき対談して、すっかり意気投合「対談本」などを出していたら・・・と思うと、どきどきしてしまう。
まことに世の中どこにピットフォールがあるかわからない。
これまで出版社から打診された対談の企画をお断りしたのは、二回しかないから、なかなか私も勘がいいということになる。
しかし、それにしてもいささか気になる記事の内容である。
報道によると、「岩月容疑者は02年4月下旬、東京から来た20代の女性のカウンセリングをしたが、その際『今が自己分析をするチャンスだ』などと話し、自宅で一緒に入浴したり、寝室で女性の胸や下腹部を触ったりした疑い」で、岩月教授自身は容疑を否認している。
岩月教授がどのようなロジックで否認しているのかは記事からはわからないが、おそらく「これは両者の合意に基づくプライヴェートな自由恋愛であって、司法の関与するところではない」という主張をされているのではないかと思う。
分析的なカウンセリングでは必ず「転移」があり、患者は分析家にエロティックな関心を示す。
これは構造的なものであり、陽性転移が生じなければそもそも分析は成功しない。
フロイトは、このエロティックな固着を、分析家は構造的に生じる「症状」として冷静に受け止め、決して分析家個人に対する感情と誤認してはならないと注意を促している。
岩月教授がどのようなカウンセリングを行っていたかは分からないが、もしカウンセラーとしてそれなりの評価を得ていたのだとしたら、教授は分析のこの基本ルールをよくご存じだったはずである。
だから、クライアントがカウンセリングの後に、教授について自宅へ行ったりお風呂に入ったりベッドに入ったりしたがったとしても、それを純粋に自発的な感情とみなすことはむずかしい。
奇しくも『「おじさん」的思考』で私は「セクハラ」問題に関して、教師に対して学生が向けるエロティックな関心は構造的なものであるから、教師はそれを自分の性的魅力の効果であると勘違いしてはならないということをくどくどと説いていた。
断ったりしないで、ちゃんと対談して、そのへんのところを岩月教授に力説して差し上げておいた方がよかったのかも知れない。
むずかしいものである。
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