全身ダンボ者

2004-12-03 vendredi

お稽古ごとが多くてたいへん。
「巻絹」の道順を覚えてなかったので(というかまだ教わってなかったんだけど、下川先生はそういうことをあまり厳密には区別されないのである)しこたま絞られたので、家で舞囃子のお稽古をしなくてはならなくなった。
能管の唱歌をぶつぶつ言いながら狭い居間をくるくる舞う。
ひとが見たらなんだと思うであろう。
舞の稽古が一段落したら、こんどは尺八のお稽古。
次に会うまでにはちゃんと吹いてみせますと池上先生にお約束してしまったので、なんとか音を出さなければならない。
運指はそれほどむずかしくないので(リコーダーと変わらない)、問題は「音が出るか」どうかである。
出ないんだな、これが。
ぜんぜん。
しゅーしゅーというむなしい排気音がいつまでも響く。
うう、くやしい。
他の諸君もまじめにお稽古されているのであろうか。
三宅先生、最上さん、やってます? やってないでしょ。

越後屋さんに12月号の「エピス」の原稿を送ったら、「著者プロフィール」に書くから、今年出した本を教えてくれという問い合わせがきた。
『街場の現代思想』『東京ファイティングキッズ』『死と身体』『他者と死者』『現代思想のパフォーマンス』『岩波応用倫理学講義』と共著含めて6冊。あと一冊年内に『ポーラン/ブランショ』本が出るはずなのでトータル7冊。
来年刊行予定の単著は
『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)と『私家版ユダヤ文化論』(文春新書)の新書二冊。
対談本がたくさん予定されている。
『14歳の子供を持つ親のために』(名越先生との対談、新潮新書)
『Right time right place』(池上六朗先生との対談、毎日新聞社)はもうゲラ段階。
(追記:と書いてアップしたあとに、本願寺出版社のフジモトさんから『インターネット持仏堂』はどうしたんですか!という嘆きのメールが届いた。あ、すみません。忘れてました(ひどい・・・)。
って、この間ゲラもらったばかりなんだ。あのゲラどこに行っちゃったんだろう・・・と思って探したら、このパソコンの裏に置いてあった。
フジモトさん、釈先生ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
あと、三砂ちづる先生との対談(晶文社)、甲野善紀先生との対談(晶文社)、橋本治先生との対談(筑摩書房)がかなり進行中。
春日武彦先生との対談(角川書店)があらたに二月に予定されているし、光岡英稔先生との対談も冬弓舎で企画中。
加えて、もののはずみで(詳細はカフェ・ヒラカワをご参照ください)『悪い兄たちが帰ってきた 東京ファイティングキッズ・リターン』の連載が『ミーツ』で来月から始まることになった。
リストをごらんになるとおわかりになると思うが、私はインディペンデントでセルフィッシュな外貌とはうらはらに、「誰かといっしょじゃないと仕事ができない」へたれの関東つれしょんべん小僧なのであった。
だが、これほど大量の対談仕事を同時並行的にこなしうるのは、トニー谷、玉置浩を措くと、現在の日本の学界には私の他にはおらないであろう。
これはびっくり。意外なことに「聞き上手」の才能が私には備わっていたのであった。
そういえば、むかしから見ず知らずの人が私のところへやってきて、いきなり「生まれて初めてこんなこと人に話すんですけど・・・」と言って、告白を始める、ということが少なからずあった。
どうして私のような非人情な人間にそのような告白をなすのか、さっぱり理由がわからなかったが、どうやら私が「調子よく相づちはうつが、実は他人の話を記憶していない」ということをその方たちは看破されていたようである。
ただし、これは私が人の話を「右の耳から左の耳へ聞き流す」ような誠意のない人間であるということではない。
そうではなくて、人の話を聴いている時の私は、その話を後になって回想しているときの私とは「別人」である、ということなのである。
人の話を聴いているときの私は眼前にいる人の発信する信号に同調しようとして、前のめりな人格変容を来して、「全身ダンボ者」と化している。
そして、そのときの《聴き手》としての「ダンボ者」は、まさにその当の対話相手が私に現前したことによって生成した「一回的」なものであるから、対話の相手が不在の場所においては再生することができぬものなのである。
それは「ラリっているときに知り合った人間には、またラリっているときにしか出会えない」という「ラリハイ」の法則(@山下洋輔)にも通じるのである。
私の「聴き手」としての能力は、この「普通人」から「ダンボ者」への人格切り替えがたいへんなめらかに行われることにある。
しかし、ジョージ・ルーカスが教えるとおり、あらゆるフォースにはダークサイドがある。
先の対談本において、私はまじめな聴き手であり、「聞き流し」というような失礼なことはまったくしていないのである。
していないはずなのであるが、どんな話をしたのか、あらためて思い返そうとすると、何一つ思い出せないのである。

PS:『ミーツ』の江さんの「ダンジリアス・エディター・イン・ザ・タウン」が再開してます。
danjirious editor is back!
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