金曜日にはアナグラム

2004-11-27 samedi

珍しく会議のない金曜日。
授業を一つ終えたあとに、家に戻って、「学報」の原稿(締め切りを一月ほど過ぎていた)を書いて送稿してから、本日の朝日カルチャーセンターのネタ仕込みをする。
夕方6時半から始まる講演のネタ仕込みを午後2時から始めるというのは職業倫理上かなり問題なのであるが、「時間論」などという大ネタを振ってしまったために収拾がつかなくなってしまったのである。
私はつねに「収拾がつかない状態」を作り出して、それをなんとか収めるためにパフォーマンスを亢進させるという「火事場のバカ力」頼みで人生を生き抜いてきたので、そういう状況に自分を追い込まないと脳が活性化しないジャンキー状態になってしまったのである。
しかし、ジャンクな人間に世間はそれほど寛容ではない。
そろそろこのライフスタイルも改めねば、いずれ恐ろしいことが起こるであろう。
なんとか40分くらいはしゃべれるネタを仕込んだところで、疲れて昼寝。
5時過ぎに目覚めて、熱いシャワーを浴びて、「よっっしゃあ」と気合いを入れて肥後橋の朝日新聞社へ。
落語家はいいよな。
『火炎太鼓』とか『唐茄子屋政談』とか、「同じ話」を聞きにお客が来てくれるんだから・・・とつい愚痴をこぼす。
こちらは毎度「新ネタ」をおろさないといけない。
たぶんお客さんは、前回と同じネタでも、にこやかに笑って聞き流してくれるんだろうけれど、芸人の「業」というか、「こいつ、いったい何の話をするんだ・・・こんなマクラを振って、どこに落とす当てがあるんだ」という私自身の不安に聴衆のみなさまをも巻き込んで、「一緒に不安になる」というスリリングな瞬間がないと、芸人ははやっている甲斐がない。
わずか90分の講演だけれど、まさに「骨身を削る」ような感じなのである。
用意したネタは40分くらいしかないので、とにかくあとは「マクラ」の小噺を必死で引き延ばす。
ぴったり90分で、話が終わったけれども、最後の方は「次回のおたのしみ」でつないだ。
来月には、それなりの準備をしないといけない。
そんな時間があるのだろうか。
あるはずないから、またきっと次回も前日に必死になってネタを仕込むことになるのであろう。
しかし、この自転車操業的朝カル講演も来月でおしまいである。
次回は12月24日。
クリスマスイブに私の講演を聴きに来る方というのも、生活設計にいささか問題があるのではないかと思うが、私とてそのようなことを言える立場ではない。
最終回はレヴィナス『時間と他者』のウチダ的しっちゃかめっちゃか読解の予定である。
たぶん人前で必死にしゃべるというのは、来月が最後になるであろう。
というか、人前で必死にしゃべるような状況を設定しない限り、『時間と他者』を解読するようなエネルギーは湧かないし。
その意味では朝カルに場を与えて頂いたのは、ありがたい機会ではあったのである。
恒例のプチ打ち上げ宴会で、大阪駅前ハービスエントの「あげさんすい」へ。
今日のメンバーは本願寺のフジモトさんと「芦屋系」の右田さんと街レヴィのコバヤシさんと、いつものウッキー。
「あげさんすい」はRe−setの橘さんが今月開店した新しい和食の店。
場所が場所だけに、行きのタクシーの中で「すげー高いから覚悟しておくように」と一同に申し渡しておいたのであるが、天ぷらフルコースのあまりの美味しさに、ことばを失って、ことばを失うついでに節度も失って、がぶがぶワインを飲み、日本酒の杯を重ねる。
外は雨。
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