母が来る。岡山の伯母と東京の叔母と三姉妹で神戸のメリケンパークオリエンタルに一泊、それから有馬温泉に一泊、母と叔母はそのあとさらに京都で遊んで帰るそうである。
三宮の懐石料理屋で、従兄のツグちゃん夫妻とご接待(といっても、ツグちゃんのおごり。こういうとき年下の従弟というのは、いくつになっても、「あ、ごちそうさま」で済むので気楽である)。
本当は翌日ホテルから有馬まで車でお連れする予定だったのであるが、24日は東京で仕事があることを忘れていた。
三宮で伯母たちをお見送りして、Re−setでちょっとくつろいで、国分さんとおしゃべりしてから帰宅。
本日はお茶の水の山の上ホテルで橋本治先生との対談である。
来春刊行のちくまプリマー新書の執筆陣にまぜていただいたので、新書の企画者であり、第一回配本の著者でもある橋本先生と、名誉ある新書ナンバー002号を賜った不肖ウチダが、新書刊行奉祝対談というものを行うことになったのである。
橋本治先生といえば、わが青春のバイブル『桃尻娘』の著者であり、ライフワーク『桃尻語訳エクリ』を奉じて「橋本治共和国」の文部大臣の席を得んと猟官活動をしたこともある、わが永遠のアイドルである。もちろん初対面。
緊張して1時間も早く会場に到着して、うろうろ。
定刻の4時に橋本先生登場。
前夜は一睡もせずに原稿書きで、明日までにさらに35枚の原稿を書かねばならないという切羽詰まった状態で対談にお迎えすることになった。
洛陽の紙価を高めた『窯変源氏物語』9000枚をはじめとする180余の名作の著者を前にして、私ごときが「忙しい」などと愚痴をこぼすのは「百年早い」というものである。
橋本先生は「好きな仕事しかやらない」という断固たる方針を貫かれている方であるから、失礼があれば、ただちに席を立たれて「ぼく、帰る」ということにもなりかねない(現に、最近もそういうことがあったそうです・・・と筑摩の担当者から脅かされたのである)
しかるに、私は著作を通じて橋本先生をよく存じ上げているのであるが、先生は私のことをほとんどご存じない。
とりあえず「怪しい者ではありません」ということをご納得いただかねばならない。
私は初対面の方に「いやな野郎だ」と思われることについては定評があるが、「感じのいい人だな」と信じていただいたことについては、あまり実績がない。
さらに困ったことに、橋本先生は「大学教授」とか「現代思想の専門家」というようなものをあまり信用されていない(その点では私とも同意見であるのだが)。
私はいわば「二重苦」を背負っているわけである。
どのような話題であれば、私が「怪しい者でない」ことがおわかりいただけるであろうか、あれこれの話題をひとわたり当たったところで、『アストロモモンガ』の文学史的意義を私が「私見ながら・・・」と申し上げたあたりで、ようやく橋本先生の警戒心がほころびた。
『デビット百コラム』や『ほらシネマ』まで熟読している「現代思想専門の大学教授」などというものが希少種であるということがおわかりいただけたのであろう。
やはり丹下左膳にはアントニオ・バンデラスしかありませんな、というような話題になってからは順調に話が弾み、学ぶことの意味、「思考の体力」、「夕焼け小焼け」をめぐる回想、戦後民主主義の光と影、『桃尻娘』の説話的構造、1960年の思想史的意味、歌舞伎の能の比較論などなど、橋本先生にぜひお聞きしてみたかったことの数々について望外の教えを賜ることができた。
橋本治さんとツーショット
あっというまに4時間が経ち、新幹線の終電ぎりぎりの時間にタクシーに飛び乗る。
まだまだお話したいことが多々あり、「また次回をセッティングしてください」と筑摩のお願いしてホテルを後にする。
この対談は筑摩書房のPR誌に掲載されるそうであるが、4時間話した分のほんの一部しか採録されないので、「単行本にして出しましょう」という話になる。ぜひともそうお願いしたいものである。
これで高橋源一郎さんに続いて、「ウチダの5大アイドル」のうち二人から辱知の栄を賜ったことになる。
これも、もとはといえば、『ためらいの倫理学』という本を冬弓舎の内浦さんが酔狂にも本にしてくれたおかげであるし、そのもとをただせば、増田聡くんがホームページにリンクを張ってくれたおかげである。
新幹線車中より京都方面、市川方面に合掌。
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(2004-11-25 09:56)