インタビュー心得

2004-11-24 mercredi

アンケートを私は信用しないということを書いたら、珍しくコメントがいくつかあった。
いずれも傾聴に値するご意見であった。
どうもありがとうございます。
コメント欄にサインインできないので(どういうわけか書くと拒否されてしまう。もしかするとパスワードを忘れたせいかもしれない)本文にお礼を書かせていただきます。
オーナーがコメントできない掲示板というのも考えものである(って、私が悪いんだけど)

インタビューでも、へぼなインタビュアーだと「期待の地平」からはずれることがないというのはまったくご指摘の通りである。
インタビュアーの質は、面接を受ける側にまわると、はっきりわかる。
あらかじめインタビュイーに「言わせたいこと」を決めてくるのが最低のインタビュアー。この種の人々は、話が脱線することを嫌い、「そういえば、関係ない話ですけど…・」とこちらが逸脱をはじめると、露骨にいやな顔をする。
しかし、この世に「関係ない話」というものは存在しない。
一見関係なく見えるトピックのあいだには必ず見えないリンクがある。
フロイトが『日常生活の精神病理学』で説明してくれたように、固有名詞をど忘れする場合、そこには必ず抑圧が働いている。
別にその固有名詞そのものが抑圧すべき心的過程であるわけではなく、その固有名詞が「リンクしている」何かが忘れられることを求めるのである。
その結果、「忘れようと思っていたことは忘れることができず、かえって忘れるつもりのなかったことを忘れてしまう」という仕方で「ど忘れ」は発症する。
「関係ない話への逸脱」は、この「ど忘れ」の行程を逆にしたものと考えることができる。
あるトピックについて語っているうちにふと「関係のない話」を思い出す。
それは、「関係のない話」のコンテンツにぜひとも語られねばならないような必然性があるわけではない。
そうではなくて、その「関係のない話」が、他ならぬそのときに、他ならぬその文脈で思い出されたことに必然性があるのである。
一つのシニフィアンがそれに磁石に引きつけられるようにしてすり寄ってくる別のシニフィアンを呼び寄せたり、追い払ったりする仕方のうちに、ひとりひとりの人間の思考の独自性はある。
ひとりの人間の思考の個性は、いわばそのひとがどんなふうにものを忘れ、どんなふうに関係ない話を思い出すか、この正負方向を異にする二種類の力学のうちに存している。
だから、インタビューの核心部分は、インタビュイーが当然知っているはずのある固有名詞に詰まったときと、話頭が突然転々しはじめたところに存するのである。
そこがインタビュイーの「欲望のアドレス」である。
インタビューとはつきるところ、問いかけが回答者の「欲望」を解発することができるかどうかにかかっている。
だから適切に行われたインタビューでは、しばしば精神分析の「転移」に似た現象が起きるのである。
女優が取材に来たジャーナリストや対談した作家と結婚したり、女子アナとプロスポーツ選手が結婚したりすることがしばしばあるのは、インタビューというものが適切になされると、欲望が活性化するという分析的事情をよく表している。
それらの出会いのきっかけになったインタビューでは、インタビュアーは取材的な対話の中で、ふいに「関係のない話」への逸脱がはじまったときに、そこに聴き取りのリソースを集中することを選択することで、おそらくインタビュイーの「欲望のありか」にまでたどりついてしまったのである。
おっと、インタビューの要諦のついでに、結婚の要諦まで教えちゃった。
未婚の諸君はよろしく拳々服膺するように。
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