松本の「いたずら王」

2004-11-28 dimanche

池上六朗先生との対談本『Right time right place』の最終セッションのために、松本へ。
同行はプロジェクトのプロデューサーである三宅安道先生。
伊丹から飛行機で松本まで、45分。
プロペラ機なので、たいへんカジュアルな感じの旅行である。
ほい、と飛び乗って、あらよ、という感じで信州に着く。
空港には池上先生ご夫妻、毎日新聞の中野さん、赤羽さん、最上さん、それにハナちゃんと呼ばれる若い衆がお迎えに来てくださった。
さっそくまずは「唐松」という名代のそばやでお昼ご飯。
池上先生お薦めの「鴨せいろ」を頼んだら、一緒にビールが出てくる。
「先生、まだ午前中ですが」と時計を見たら12時3分過ぎ。
じゃ、まあいいか・・・とグラスを差し出したら、「今回は仕事ですからね!」と三宅先生が怖い顔(あまり怖くない)をしている。
池上先生はぜんぜん気にしないで、わはははとビールを飲んでいる。
三宅プロデューサーの現場統括はプロジェクト開始後、わずか15分で瓦解したのであった。
その後、車で秋の梓川を眺めながら、上高地の入り口にあたる沢渡村の温泉旅館へ投宿。
旅行雑誌の豪華カタログでしかお目にかかることのできないような、瀟洒な旅館である。
部屋数わずかに8室で各室の庭に「プライベート露天風呂」がついている。
女将が池上先生の患者さんなので、私たちは「特別待遇」である。
私はレストランやホテルなどで、他人が常連面をして、特別待遇を受けているのをみると、むらむらと殺意を禁じ得ない狭量な人物であるが、自分が特別待遇を受ける場合には、「そういうことも、あるいは、あってもよいのかもしれない」と粛然と受け容れることにしている。
運命に逆らってはいけない。
対談は午後2時過ぎより始まり、午後5時半まで、和気藹々のうちに進行し、これまでのものと併せて本一冊分のデータが集積された。
「では、このへんで」と打ち上げ、心配そうな三宅先生の愁眉も晴れ、最上さんご持参の越乃寒梅無垢(某会会長から某組総長のもとに毎月届けられる70本のうちの一本である。どういう経緯でそういうものがここで開封されることになるのかについては、もちろんこんなところに書くわけにはゆかない)。
そのまま夕食に雪崩れ込み、山海の珍味を食しつつ、生ビール、ワイン、日本酒などをくいくいと酌み交わし、最上さんの「爆笑・あっとおどろく渡世の裏街道」話に興じる。
食後突然池上先生から「不幸の手紙」ならぬ「不幸の贈り物」が下賜される。
一人一個ずつB4版のプラスチックケースが配られ、おそるおそる中を開けると・・・
そこには「誰の想像をも超えたもの」が収納されていたのである。
しばらく全員神妙な顔をして「正しい呼吸法」や「五穴」「七穴」の違いなどについて池上先生からレクチャーを受ける。

さて、池上先生が私たちに贈ってくれたものは何でしょう?
メールでご回答ください。正解者はこのHPでお名前を紹介し、「すごい想像力!」という賛辞をお送りします。

温泉に入ってから湯上がりに、最上さんに背骨の歪みを直していただいて爆睡。
朝8時まで寝て、朝風呂(もちろんプライベート露天風呂)からアルプスの青い空と冬枯れの山の景色を満喫する。
朝ご飯のあと、今度は三宅先生にさわっていただき、さらに身体がぐにゃぐにゃになる。
松本に戻る途中、「翁」というそばやでおろしそばを食べる。
ここでも当然のように池上先生が「お酒ください」。
おじさんたち三人(私と三宅先生と最上さん)は「ああ、堕ちてゆく、堕ちてゆく・・・」とつぶやきつつ、誰一人抵抗することできぬままに冷酒とそばって合うよね、ほんとこの辛味大根がいいよね的な12時3分過ぎにしてはいささか(かなり)自堕落な会話のうちに崩れ落ちる。
松本の池上研究所に戻ってから、今度は全員が池上先生の治療を受ける。
私は数週間前からの右手尺骨の疼痛が肘関節の亜脱臼が原因であることを教えていただき、その痛みが嘘のように快癒。
ありがたい。
しばし歓談ののち、ふたたび車で飛行場へ。
みなさんとの別れを惜しみつつ、三宅先生ともども機上の人となる。
ああ、面白かった。
みなさん、お疲れさまでした。愉しかったです。
それにしても池上先生という人は、ほんとうに痛快な方である。
「快男児」ということばはもう死語に近いけれど、初夏の風のように自由奔放で、暖かく薫り高い池上先生のもたらす空気を形容するのには、このことばがいちばんふさわしいような気がする。
池上先生のようなすばらしい人との縁を結んでくださった三宅先生に改めて感謝。
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