美山町で松茸を食べる会

2004-11-22 lundi

稽古でさっそく甲野先生直伝の「垂直離陸」「空中で遊びを取り」「追い越し禁止で力を伝える」技法をさまざまな合気道技に応用してみる。
入り身投げへの応用がなじみがよいらしく、みなさんの技の質が一変する。
「遊びを取る」ということばの意味する身体感覚がこれまでなかなかぴんとこなかったが、ようやく「こういう感じかな…」ということがわかってきた。
多田先生がときどき「生まれてからずっと、この形だと思って…」という比喩を使われることがあるが、そのときの体感に近いような気がする。
「うまれてからずっとその形をしている身体」というのは、どこにも力みや詰まりがあるはずのないものである。
起源の身体、あるいは究極の身体と言ってもよい。
私たちのふだんの身体運用はその「原型的身体」を無数の関節で分節し、折り曲げ、たわめ、濃淡をつけて使用しているわけだけれど、そのような「操作」には多くのエネルギーが必要だ。
それを瞬間的に「起源の白紙状態」に戻す。
「白紙」というのは、「身体がその状態で維持されるためにエネルギー消費が最少の状態」である。
つまり、身体を保持したり、バランスを取ったりするためのエネルギーのランニング・コストがゼロに近いために、そこで発生するエネルギーが(原理的には)すべて外部に向けて「投資」できる状態、ということである。
浮きをかけて身体が中空にあるときに、瞬間的にその「白紙状態」が生成する、というのは、理屈としてはたいへんよく理解できる。
もしかすると、意拳の站椿で練っている身体もそういうものか…と妄想をたくましくする。
あれこれしているうちにあっというまに時間が経ち、京都美山町に「松茸を食べに行く会」に出発。
毎年、「秋には松茸を食べにいらっしゃい」と誘われているのだが、これまで秋の美山町に行く機会がなかったのであるが、今回はもののはずみで私が小林家所有の京都市内のマンションを周旋したために、すぎちゃん・ゆきちゃん姉妹と隣組になったミヤタケ夫妻を同行してご挨拶に伺うことになったのである。(ややこしくて何の話かみなさんにはおわかりにならないであろうが、スルーしてください)
宝塚から中国道に入り、吉川インターで舞鶴道に乗り換え、綾部で降りて、27号線を京都へ向かう。
3時に大学を出て、山陰線和知駅に5時に到着。ここでミヤタケ夫妻をピックアップ。
ミヤタケのご夫君ウエダさんとは初対面。長身痩躯温顔の好青年である。
車中でわいわいしゃべりながら真っ暗な道を走って、美山町へ。
小林家の台所に腰を据えて、さっそく吟醸酒、ボージョレ・ヌーヴォーなどをいただきながら、松茸の茶碗蒸しからスタート。春巻き、青梗菜、風呂吹き大根など次々と食べ散らし、最後は松茸ご飯で締める。
美味なり。
11月の美山町はもう初雪の気配。
薪ストーブを囲みながら、談論風発。美山町の夜はしんしんと更けて行くのであった。
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