ひさしぶりの甲野先生&飛雲閣で考えたこと

2004-11-19 vendredi

11月18日
朝から授業が二つ。終わって事務室でコーヒーをのんで休憩していると、松田先生が「研究室の前に人だかりがしてましたよ」と教えてくれる。
しまった、今日がゼミ面接最終日であった。
あわててかけつけると、学生さんが廊下にひしめいている。
すでに60名近く面接しているのに、この上さらに…と一瞬眩暈がする。
しかし最終日であるので、いくら時間がかかっても、全員と面接するしかない。
おっしゃあ、と気合いを入れてかたっぱしからインタビューしてゆく。
3時間半かけて25人の面接を終えると、時計はすでに6時を回っている。
6時半から朝カルで甲野善紀先生の講習会があり、それに顔を出しますとお約束していた。
4時には面接を終える予定でいたのであるが、なかなか予定通りに人生はゆかないものである。
雨の中、必死でタクシーを乗り継いで、なんとか40分遅れで到着。
甲野先生はすでに「追い越し禁止」術理の実技段階に入っておられる。
甲野先生の講習を拝見するのは、そういえば龍谷大学でのシンポジウム以来だから、約1年ぶりである。
スポーツ、介護関係の身体運用への適用の研究がかなり進んでおられるようである。
これはあるいは現代武術の必然であるのかもしれない。
というのは、武術というのは、現代においては、その有効性の検証のしようがないからである。
平成のご聖代に、刀や槍を振り回して立ち会いをするわけにはゆかない。
誰の武道的術理がもっとも正しいのかということについて、武術の場合、「現場」での検証というものができないのである。
リアルファイトをすればいいじゃないか、と言う方がおられるかもしれないけれど、武術というのは、「兵法」であるから、そもそも3分10ラウンドとか金的蹴りなしとかいう「ルール」というものがない。
それどころか、「じゃ、明日試合ね」と言っておいて、前の晩に相手のナイトキャップに一服毒を盛って殺してしまっても、兵法的にはオッケーなのである。自分の家の中で、敵に毒を盛られるほどに「隙」があるという点で、すでに兵法的には「負け」ているからである。
けれども、そんなことをして勝っても、たちまち長期の懲役刑を受け、三回も勝てば、もう間違いなく死刑である。
その点、スポーツ(格闘技を含めて)や介護やあるいは教育やパフォーマンスのような「現場」では、身体運用術理の有効性や汎用性は検証可能である。
たぶんそのせいであろう、甲野先生の講習会の参加者がかつてのように武道系の人が減って、医療や福祉や学校教育の関係者ではないかと思われる風貌の方がふえてきたような気がする。
21世紀の武術はこういう方向でその社会的使命を果たすことになるのかも知れない。
11月17日
『インターネット持仏堂』のパブリシティ用撮影のために、西本願寺へ。
藤本さんと本願寺出版社の編集長にご案内いただいて書院へ。
書院の濡れ縁で、庭の能舞台をバックに釈先生とツーショット。
『晩春』の竜安寺石庭で、笠智衆と三島雅夫が無表情なまま並んで庭に見入る構図をお願いしたのであるが、カメラマンに笑って一蹴される。
中年のおじさんがふたり見つめ合って、ほほえみを交わしているという方が不自然な気がするのであるが。
撮影のあと、本願寺の書院と国宝の飛雲閣を拝観。
アーキテクチュアもインテリアも、安土桃山的「遊び心」が横溢している。
さまざまな仕掛けや伏線や隠喩がはりめぐらせてあり、建築そのものが「アミューズメント」である。
その多様性と自由自在な発想にびっくりする。
その時代の日本人はいったいどれほどの精神の自由を享受していたのであろう。
これにくらべたら、現代の建築のなんといじけたこと。
現代の建築物の中で、500年後に「わ、面白い!」と後代の日本人を驚嘆させるような遊び心や悪戯な仕掛けをこらして構築されているものが一つでもあるだろうか?
そもそも500年後まで「建っている」建築物が存在するだろうか?
日本は安土桃山時代から以後ずっと没落過程にあるのかも知れない。
編集長のご厚意で、一般のひとは参観できない、飛雲閣の第三層や、離れの湯殿やトイレを拝見する。
飛雲閣は聚楽第から移築したものであるので、お風呂やトイレは豊臣秀吉の「専用」。
せっかくの機会であるので、豊臣秀吉御用達の便器にまたがってみる。
こういう建築物の中を動き回っていると、空間がどのような身体運用を人間に要求するのか、フィジカルに理解できる。
階段にせよ、渡り廊下にせよ、現代日本人の身体運用ではとても太刀打ちできない。
こういうところで暮らしていると、常住坐臥のふるまいそのものが武道や能楽の修業になるのであろう、と深く納得。
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