『文学はいかにして可能か?』といわれてもねえ・・・

2004-10-27 mercredi

オフ。三宅先生のところに行って、朝一でもみほぐしていただき、股関節の正しい使い方について若先生から講習を受ける。
こ、これは、目ウロコ。
家に戻って、『エピス』の映画評を書く。
1000字の原稿なので、さらさらと1時間で書き上がる。
「あのー、私どもが期待しているのは、こーゆー感じのもんじゃなかったんですけど…」というような泣きが越後屋さんから入る可能性の高そうな原稿である。
だが、私に寄稿を頼んだ時点で、すでに彼は「人を見る目がない」という最初の「ボタンの掛け違え」を犯してしまったのである。そうである以上、このあとどのような部分的修正を加えようと、本質的過誤はもはや訂正不能なのである。
気の毒だが、これも「人生勉強」ということで、越後屋くんのさらなる人間的成長に期するのである。
次は『インターネット持仏堂』の校正。
本文は終わったが、注を書く気力が出ないので、そのままそっと本棚の奥の方にしまいこむ。
私が締め切りを忘れても藤本さんは忘れないから大丈夫なのである。
引き続き『ポーラン/ブランショ』本の校正。
編集の清藤さんが超レア本、ジョゼ・コルティ版『文学はいかにして可能か?』のコピーを送ってくれたので、早速テクスト・クリティックにとりかかる。
88年に論文を書いた頃には、コルティ版なんか見る機会がなかった(なにしろ1941年に限定350部発行の薄っぺらな同人誌みたいな本なのである)。
そのコルティ版とガリマール版を一字一字付き合わせて異同をチェックする。
さいわい『文学はいかにして可能か?』はコルティ版で19頁しかない短いテクストなので、照合はすぐに終わる。
驚いたことに、コルティ版からガリマール版への転載に際して、かなりの削除修正がなされていた。
削除されているのは要するに「くどい」箇所である。
「くどい」というのは「話がくどい」ということでもあるし、「そこまで書くと、底が割れる」ということでもある。
ブランショの『文学はいかにして可能か?』はナチス占領下のパリで出版された、ジャン・ポーランの文学論『タルブの花』の「解説書」である。
当然、そこでは文学が論じられているはずであるが、私はそうではあるまいと睨んだのである。
私の主張は、『文学はいかにして可能か?』は文学論を擬装してはいるが、実は『コンバ』時代のブランショの仲間の二種類のテロリストたち(『コンバ』分裂後にヴィシーに身を寄せたティエリ・モーニェ一派と、パリで対独協力をしたロベール・ブラジャック一派)のあいだの内輪もめの理路を文学的対立にこと寄せて総括したもので、最終的にはその両派に対して、「キミたちのやりかたじゃダメなの。革命っていうのはね、頭使わなきゃダメなの、頭」というイヤミな説教をかました政治パンフである、というものなのであった(論点がはっきりしない論文だな)。
書いた当時はわれながら「すごい推理」と感心していたのであったが、今回コルティ版の削除箇所を読んでみたら、「これは『コンバ』時代の仲間割れについて書いたものです」とちゃんと書いてあったので、脱力。
端からネタばれしてたのなら、私が気負い込んで論文書く必要なんかなかったのである。
とほほ。
しかし、この私の論文に「『コンバ』の内輪もめの話だって?(笑)ウチダくん、荒唐無稽の妄説を語るのはやめたまえ」と説教してくれた同業者も発表当時はいたのである。
その方たちにはぜひ猛省を促したいものである。
ブランショ本人が「あれは『コンバ』の内輪もめの話です」って書いているんだからさ。

がっくりしているところに「S伝会議」というところからお仕事の打ち合わせにO越さんという青年が登場する。
ここでやっている「ライター養成講座」で「書くことの心得」というようなテーマについて講演をしてほしいというお話である。
講師陣紹介パンフを拡げてみたら、江さんの顔があった。
江さんは講座の人気講師だそうである。さもあらん。
江さんと一緒のところなら…ということでお引き受けする。
し、しまった。
また仕事を増やしてしまった。
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