越後屋哀歌

2004-10-26 mardi

bk1の「人文・社会・ノンフィクション」部門で『死と身体』が6位、『TFK』が11位。
トップ20に二冊入った。
『死と身体』は「科学・医学・技術・建築」部門でも5位。
「おてもやんロック」が「ロック・チャート」と「民謡チャート」で同時にチャートインしたときの平尾昌晃の気分に近いといって過言でないであろう。
『他者と死者』も店頭に並ぶ頃である。
イラチ系の方は本欄左の『他者と死者』の表紙画像をクリックすると、ジュンク堂のインターネット書店にリンクする(もちろん私にそのような面倒な設定ができるはずもないので、すべては芸術監督フジイくんのご高配によるものである。どうもありがとね)。

本が売れるのはいいが、仕事が増えて困る。
講演や講義の依頼がどかどかと来る。
本務があるし、お稽古もしたいし、原稿も書かないといけないので、年度内の日程はきわめてタイトなのであるが、「うーむ、これはなかなか面白そうなテーマだなあ」とか「お断りすることのできぬ筋の方からのご依頼」などもあり、ついつい受諾してしまう。
きっぱりお断りできるのはTV出演だけである。
あるTVプロダクションから番組で『TFK』を紹介するから顔写真を貸してくれという電話があった。
写真くらいいくらでもお貸ししますとご返事する。
そのプロダクションから以前番組出演依頼があったのを断ったことがあるらしい(忘れていた)。
「どうしてウチダさんはTVに出ないんですか」と改めて訊ねられたので、理由を申し上げる。
私が考えるに、現代日本において「有名人」と「一般ピープル」の境界線は「TVに出るか、出ないか」にある。
TVにでる人は「有名人」である。
別に私が決めたわけではなくて、本邦ではそういうことになっているのである。
そして、「有名人」になると「有名税」というものが課税される。
これは「不特定多数の人間からの根拠のない憎悪」というかたちで賦課される。
「不特定多数の人間からの根拠のない憎悪」にも一応の「根拠」はある。
それは「やたら金回りのいいやつ」に見えるか、「TVに出て、ちゃらちゃらしてる」か、どちらかに該当するということである。
そして、人間が「やたら金回りのいいやつに見える」のはたいていの場合「TVに出てちゃらちゃら」したりするからなのである。
さいわい、私は今のところかかる事態を回避できている。
しかるに、「やたら金回りのいいやつ」になりたいという方向に今後事態が推移することについては私の側に特段の抵抗があるわけではない。
むしろ歓迎したいとさえ思っている。
となると、残るリスクはひとつだけである。
というわけで私はTV出演をお断りしているのである。
というようなことを申し上げる。
あまり納得してはいただけなかったようであるが。

二度目の「ユダヤ文化論」講義。3週間連続で月曜日が休みだったのである。(4日は学会で北海道、11日は祝日、18日は東京で竹信くんを送る会)
何を話すか決めていないままふらふらと教場へ赴き、「なぜユダヤ人は国際的ネットワークを有していると信じられているのか」というテーマについて話し始めているうちに、国民国家論になり、ウェストファリアシステムの終焉という話になり、パリのチャイナタウンでは死体が出ないという話になり、ついには21世紀中盤の世界を支配するのはユダヤ人と中国人であろうというトンデモ歴史観を披瀝する羽目になる。
なんだかユダヤ禍論と黄禍論をミックスしたような妄説であるが、国民国家が解体してゆく国際社会の再編過程では、リスクを回避し、混乱から最大のメリットを引き出すことができるのは「国民国家による管理と支援」に幻想を持たない社会集団であろうという私の見通しは、それほど的はずれでもないはずである。
おお、そうだこの話をまんま『文學界』に書けばよいのだ。
一回分できちゃったな。

杖道の授業とお稽古。
まず太刀の使い方を教える。
女子学生諸君はもちろん「刀で人を斬る」ためにどのように身体を操作するかについては、ほとんど何もご存じない。
「鞘」とか「鍔」とか「峰」とか「柄」という名詞さえご知らないのである。
とりあえず携刀から帯刀、抜刀、上段、八相、脇構、下段、納刀までの一連の動作を練習する。
みんな真剣な顔をして木剣を擬している。
しかし、刀がないと「鞘引」とか「刃筋」という概念がなかなか理解できないので、来週から居合刀を使うことにする。
太刀のあと、一の杖の相合せ、それから着杖。引き続き杖道会の稽古で雷打と正眼。杖道会でも来週から居合の稽古を始める。
したいことは山のようにあるが時間がない。

家に帰って晩ご飯を食べてから、ワイン片手に「裏ビデオ」の続きを見る(越後屋さんが「完全版」を届けてくれたのである)。
そのT口さんからメールがあって、昨日の昼過ぎ某配給会社に行ったら、「やあ越後屋サン」と声をかけられたそうである。
「越後屋活動」は一応秘密情報活動なので、こういうHPみたいなところで公開されちゃ困ります…と泣き言が縷々書いてあったが、私は他人の不幸にはあまり同情的な人間ではない。
そもそも私のような人間に「裏ビデオ」を回したということが「人を見る目がない」ことの動かぬ証拠である。
「あわわお代官さま…そんな、私ども一蓮托生でございましょう」
「なにを愚かな、越後屋。罪を一身に背負ってお前ひとり死ねば、わしの身は安泰なのじゃ、わはは」
「お代官さま!そ、そんなご無体な」
ふつうはこのへんで桃太郎侍が出てきて、悪代官もまとめて斬られてしまうのであるが、現実の世界に桃太郎侍は存在せず、悲しい思いをするのは越後屋ひとりなのである。
しかし、映画配給会社のみなさんまでがこのHPまでチェックしているとは、まことに油断も隙もない業界である。
私の「邦題をなんとかせんかね、配給会社の諸君」というような憎まれ口もちゃんとフォローしているということである。
おおテリブル。
「裏ビデオ」完全版は残り3分くらいで終わってしまった。
あのあとどうなるだろうと昨日の夜はわくわくと妄想をたくましくしていたのであるが、結局何も起こらなかったのである。
妄想を抱いたままのほうが幸せだったかもしれない(映画そのものも、そういうような話だったし)。
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